韓国でまたもやSATの不正があった件

韓国でまたSATの不正があったようだ。
「韓国会場の分だけ、点数が発表されない。内部調査中だって。無効になったらどうしよう」
米国の大学を受験予定の子供をもつ、韓国在住外国人の親たちの間でも、大騒ぎになっている。

ネットをざっと検索してみたところ、韓国の主要メディアではまだニュースになっていない。証券関係のインターネットニュースだけが、単独報道という形でこれを伝えている。ニュースの概要は以下のとおりだ。

10日11日に実施された米国大学入試資格試験(SAT)の問題が、韓国国内のある語学学校から数千万wの価格で事前流出したという疑惑が浮上。教育部やSAT予備校などによると、当初28日午後6時に予定されていたSAT Reasoning Test(SAT 1)の成績が、29日時点でまだ公開されていないという。

SATを主管する米国のカレッジボードは、韓国国内の受験生にはSATの成績を現時点では通知せず、独自の調査を通して15日頃に立場を明らかにする方針だという。これによって韓国だけ点数が取り消しになるか、その際すべての受験生が対象となるのか、一部の突然成績がよくなった生徒だけが対象になるのかは、まだ詳細は決定していないようだ。2007年1月にも韓国国内でSATと類似の問題が流出した疑惑がおこり、その時にはカレッジボードが試験全体を無効処理した事例がある。

韓国内のSAT不正に関しては、すでに「毎度毎度」の感がある。
2013年にも、年明けに問題の流出疑惑が起こり、2月に韓国検察がソウル市内のSAT予備校60カ所余りを家宅捜査。その際に不正が確認され、5月のSAT1と6月に入ってからの科目別生物の試験が中止、一部の受験生の受験資格が取り消された。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130629/kor13062918000008-n1.htm
2010年にも同様の流出事件がおきている。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2010011883208
ネイバーまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2136771125051614601

「毎年、毎年、どうしてこんなことが起こるんでしょう。一部の悪い人間のために、まじめにやっている生徒が犠牲になる」
生徒や父兄の怒りは当然だ。特に11月1日の米国大学早期募集(Early Decision)に願書を提出予定の留学準備生たちは深刻だ。

「さらに毎年のように韓国でのみ起きる不法問題流出により、主幹者がこれをきっかけに韓国から撤収する可能性もある。」と、マニートゥデイの記事には、匿名を希望するSAT予備校の校長のインタビューが紹介されている。
「アイビーグリーグなどの米国名門大学では、韓国の学生のSAT点数は信頼しない、いわゆる「コリアディスカウント」の雰囲気がすでに形成されている」「その渦中に起こった今回の問題で、カレッジボードはこれ以上、韓国国内でSAT試験をしないのではないか」
http://www.mt.co.kr/view/mtview.php?type=1&no=2014102912345525057&outlink=1
http://www.mt.co.kr/view/mtview.php?type=1&no=2014102714041381706&outlink=1

5000万wもの大金を支払ってテスト用紙を手に入れる親たち。それが1人や2人ではないだけに深刻だ。
「韓国の教育熱は想像を絶する」
日頃は韓国人の激しさにたじろぐばかりの外国人の親たちだが、今回の件では他の生徒たちにも甚大な被害をもたらすことで、看過はできない。
韓国政府は李明博前大統領の任期中に、外国企業の誘致のためとして、国内で新規のインターナショナルスクールを複数オープンさせた。さらに済州島に国際教育特区を新設し欧米の名門私立校を誘致、アジアの英語教育のハブ化を目指した。しかし、相次ぐ不正によってSATの実施そのものがなくなれば、韓国の国際教育ビジネスは致命的な打擊を受けることになる。

今回の不正事件にカレッジボードがどういう対応を示すか、結果が注目されている。

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昨日、ここまで書いた。その後、ワシントン・ポストの記事がアップデードされたり、情報がいろんなところに出てきた。
http://www.washingtonpost.com/blogs/answer-sheet/wp/2014/10/29/sat-scores-in-some-asian-countries-delayed-for-quality-control-checks/

とにかく真面目な受験生には大迷惑な話。ただ、これ毎年の恒例行事のようになってしまって、防止はとても難しそう。韓国政府が得意の「あなたたちは国の恥」と弾圧してもあんまり効き目はなさそうだし。

韓国の留学予備校関係者は、今後韓国でSAT試験がキャンセルになるのを心配しているというけど、仮にそうなってみんなが別の国で受けても、不正が防止できるとは思わない。今回の場合は以前の時差事件の時のように、試験会場そのものが問題ではなく、過去の試験用紙を販売した業者と買った親の問題である。

とにかく気の毒なのは真面目に取り組んでいる受験生。韓国で受験した外国人は「韓国で受験したばかりに」と韓国を恨む気持ちにもなるが、韓国人の受験生にとって事態はさらに深刻。
「これでますますコリアンディスカウントがひどくなる」
大学側からしてみれば、SAT満点の韓国系学生を警戒するのは当面は仕方ないし。真面目に点数をあげた子たちは犠牲になる。

なので不正防止は、結果的にもっとも迷惑をこうむる韓国人学生と親が、自覚的に頑張るしかないと思う。要は引き続き告げ口機能を充実させるとか。なんか身も蓋もない解決法だけど。

ソテジのビデオを見たりした…

フェイスブックの誕生日メッセージに、同級生からこんなメッセージをもらった。
「以前は、年とるの嫌だったけど、今は、誕生日を迎えるたびに、 やっとここ迄、生きてきたんだなあと感じます。特に最近、災害が多いから、生きていることは、当たり前の事では、ないと感じます」
同級生は日本に住んでいて、震災や最近の台風や御岳の火山爆発などを見ながら、実感を込めてメッセージを書いてくれたのだと思う。

同じかな、私も。
韓国の人はこんな気持を、「生きていてくれてありがとう」という言葉で表す。一番よく聞いたのは、朝鮮戦争で生き別れになった人々が再会した、南北離散者家族の対面のシーンだ。年老いた親子や兄弟が互いの顔をなであいながら、そう言って泣き崩れた。
「生きていてよかった」ではなく、さらに踏み込ん「ありがとう」。
生きてきたお互いを讃え、その奇跡に感謝する。思えば、生まれてきたのだって奇跡だったのだ。

御岳噴火の直後に、韓国では換気口での墜落事故があった。
日本の知り合いから「日本は自然災害、韓国は人災が問題だね」と言われた。彼女があらためてそう言うまでもなく、日本は自然災害という宿命を背負って、社会システムを発展させてきた。世界でも類を見ないほどの几帳面なシステムや国民性は生き残りのための選択だった。韓国は地震も台風も火山爆発もめったにない。日本のように繰り返し反省を求められ、改善を迫られるようなことはなかった。

世界有数の几帳面国から来た日本人は韓国で暮らすと、想像を絶するようなずさんさに驚く。もっとも最近は以前と違い見た目綺麗だから、最初は気づかないことも多い。でも、工事や修理の様子を見て、いきなり心配になる。定期点検がされていないことに気づき、震える。
「通気口の上に乗ってはいけない」
「屋上の柵にもたれてはいけない」
「マンホールのそばには近づかないように」
「1人でエレベーターに乗ってはいけない」
子供が生まれた時から口酸っぱく言ってきた。近所の子がエレベーターを利用しても、うちだけは階段を登らせた。「なんでうちだけ」とぶつぶつ言っていたが、その代わりにゲームなどはやり放題だったので、「それも我が家の個性」と納得していたという。

「そんなに韓国を信用していないんですか?」
聞いてくるのは普通の日本人や韓国を知らない在日韓国人だ。
「信用していません。私だけでなく、韓国人だって信用していない人はたくさんいます。」
韓国人の中には、私より韓国を信用していない人もいる。海外で暮らしの経験のある韓国人はもちろんだが、そうでない人の中でも怯えたように暮らす人々がいる。顕著なのは食品で、わざわざ外国のオーガニック食品を取り寄せている人々もいる。あるいは、修学旅行などの予定地に、親が先の乗り込んで安全点検をする。セウォル号事故以前からいろいろなことがあり、親御さんの気持ちはわかるのだが、点検すべきポイントが的を得ているとは思えない。
行動がちぐはぐなのは、仕方がない部分もある。より安全な状態を知らないのだから。日本だって、外部から危ないなと思われることはいろいろある。たとえば子供の1人下校など。それが当たり前の人は気づかない。同じく、大多数の韓国人は韓国のシステムしか知らない。

シン・ヘチョル氏が亡くなった。
民主化後の韓国のミュージックシーンのヒーローの突然の死は大ショックだった。まだ48歳、あんなに元気に活躍していた人がどうしたんだ。まさに寝耳に水だった。
腹痛を訴えた彼が、江南のS病院で腸閉塞の手術を受けたのが10月17日。
昏睡状態で牙山病院に運ばれたのが22日、そして27日の夜、帰らぬ人となった。
その直後、シナウィのギタリスト、シン・デチョルはフェイスブックにこう書き込んだ。

「へチョル、俺が復讐してやる」
Daechul Shin
10月27日 21:37 ·
너를 떠나보내다니 믿을수가 없구나.
이 말은 하고 싶지 않았다만
해철아 복수해 줄게.
https://www.facebook.com/daechul.shin.75?fref=nf

韓国のニュース報道などによれば17日の手術の後、体調不良を訴えて何度が病院を訪れたという。亡くなる直前の27日朝のデイリーニュースの記事は日本語に翻訳されている。
http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2006563

シン・ヘチョルの所属事務所であるKCAエンターテインメントによると、シン・ヘチョルは17日に急な腹痛を訴えソウル松坡(ソンパ)区S病院で検査を経て小腸閉鎖症の手術を受け、2日後の19日に退院した。翌日の20日午前、手術を受けた部位の痛みと微熱によってS病院で2回のわたって診察を受けたが、腹膜炎ではないという診断を受けた。
以後22日午前、腹部及び胸部の痛みでS病院に入院したが、急に心配停止の状態になった。心肺蘇生を行ってソウル峨山(アサン)病院に移送されたシン・ヘチョルは腹腔内臓手術及び心膜手術を受け、現在危篤の状態だ。

事務所の発表通りの経緯だとしたら、病院の過失が問われない理由はない。
現在は5日葬の最中で、友人たちもメディアも家族を思いやり、故人や業績をふりかえることを第一としているが、セウォル号以降ただ不安定になっている韓国の人々の気持ちは、ますます悪化するだろう。政治が機能していない状態では、怒りは社会の分裂をさらに深めるだろう。

こういう時こそ、シン・ヘチョルがいなきゃいけなかった。
なんとういう悲劇なのだろうと思う。

ソテジがつい先日だした新譜のミュージックビデオ。
独裁政権時代の記号が散りばめられた内容だ。
この再従兄弟はもうすでに泣いていた? 不思議な響きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=nzEebkOJA-I&feature=youtu.be


追記)故シン・ヘチョルさんの遺族、「S病院の手術に同意していなかった」
http://m.sportsseoul.jp/article/read.php?sa_idx=13633

死をもって放たれよ 韓国人の看取り

今月号の月刊文藝春秋に、友人の菅野朋子さんが「『儒教の国』の孤独な老人たち」という記事を書いている。
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1133

タイトルの「儒教の国」はカッコ付けになっているので、おそらくここが問題提起の一つなのだろう、敬老や家族主義といった「儒教的なもの」が崩れつつ韓国の現状が丁寧に描写されている。彼女とは日頃からいろんな話をしているし、今回も取材に関しての相談などをうけたので、知っている内容もあった。でも、できたものを見たら、へえ〜と思うことも多かった。特にいいことを知ったと思ったのは、最後に出てくる「追悼の森」の部分である。

「追悼の森」とは散骨のための施設だ。韓国のお墓は元来は土饅頭式で、一族の山の日当たりのいい場所に、順番に作られていく。日本も儒教の影響をうけた「先祖代々の墓」があるが、韓国の場合は「先祖代々の山」である。

そこに1人一個ずつお墓が作られるわけで、代を継ぐごとに墓が増え続けることになる。韓国の地方都市を旅すると鉄道の沿線などで、小さな山の南斜面に延々とお墓が続く景色が見られるが、それに限界があるのは一目瞭然。どれだけ国土があっても足りない。不動産高騰の折、生前に住む家だけでも大変なのに、死後のことはもう勘弁してほしい。それに先祖代々の山を管理し、一族の供養を続けるのも、少子化の影響などもあり大変になっている。いずれ墓守がいなくなるのは、日本と同じだ。

そんなことで、最近は「火葬→納骨堂」という手軽な形式が定着していたのであるが、「そんなことぐらいなら、いっそのこと山や川に散骨してほしい」という人が、今の50代ぐらいから一気に増えている。いわゆる韓国の団塊の世代にあたるこの層は、親世代の儒教文化を尊重しつつも、「そこまではやるけど、俺はもういいよ」という人々。知り合なども多くも散骨希望者だ。希望者が多いのは知っていたが、すでにそのための「森」ができているのは菅野さんの記事で初めて知った。
日本でも共同の墓は流行のようだが、それだって墓は墓。一戸建てがマンションになっただけで、墓の概念はあまり変わらないような気がする。共同の森はそれとは違う。家や所有など俗世の概念から、死をもって文字通り解き放たれる。いいなと思う。

もう一つ、この記事の中で、老後の行き先として「療養病院」というのが出てくる。これは治療ではなく療養を目的とした病院で、高齢者の最終施設的な役割をしている。要介護の人が多く、日本の特別養護老人ホームに近い。ただ病院なので身の回りのことは付き添いの家族がしなければならない。でも、多くの家族は24時間の付き添いなどできないので、「看病人」という名前の介護者を雇うことになる。その費用は1日7万、一ヶ月200万wと記事にはあった。

ここまでは私も知っていたのだが、昨日、別件で会った女性からさらに踏み込んだ話を聞いた。彼女の義母も何年も前から療養病院に入っている。2人部屋と4人部屋があり、当初は2人部屋を希望したのだが、寂しいからと4人部屋に移った。介護の人は各部屋に1人ずつ、24時間そこに寝泊まりしながら2~4人の患者さんの面倒を見る。おむつの交換、食事の介護、着替え、トイレ誘導などすべて。簡易ベッドで寝ながら、それを1人でこなす。
「あんな大変な仕事、韓国人にはできない」
韓国人にはできない? 
彼女の義母の病院の「看護人」はすべて中国朝鮮族だという。以前は韓国人もいたが、最近はそういう仕事は外国人ばかりになっているようだ。病院に泊まり込で働いて、月に200万w。そこからエージェンシーにいくらかはもっていかれる。患者の家族にとっては四等分だから、合理的といえばそうだけど、看護人側は人数が多ければ、それだけ仕事の量も増える。患者と看護人との個人契約。法律的にはすれすれだろう。
「でも、彼女たち外国人は死ぬ思いで1~2年それをやれば、母国で家が1軒立つ」
それなら私もやれるかなと言ったら、ちょっと驚かれた。

家族に介護されず看取られることもないことを、日本では「孤独」としている。韓国人はさらにそれを嘆き悲しむイメージがあったのだが、最近はどうだろう? もう最後を看取るのは家族どころか、同国の人でもない。「散骨」と「外国人による看取り」。そうして家族、所有、そして国からも解き放たれる。
これは日本より韓国の方が先に進むかもしれない。彼らはいつも階段を1段おきで、駆け上がってきたし、何よりも韓国の儒教はすでに祖先よりも子孫を優先することを選択したのだから。

「韓国が心配な韓国人」(日本が心配な私)

朝鮮日報のコラム「韓国が心配な韓国人」を読んだ。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/10/%12/2014101200195.html
米国の世論調査会社ビュー研究センターが世界44カ国を対象に行った満足度調査の結果について、韓国国民は満足が28%、不満が69%とある.。不満が満足の2倍もあるとコラムは嘆くがどうだろう? ちなみに上位は中国(87%)、ベトナム(86%)、マレーシア(77%)などアジアの新興国、下位はギリシャ(5%)、スペイン(8%)、イタリア(9%)など財政危機に見舞われた欧州諸国だ。韓国が23位、新興国でも衰退国でもないということで、概ね妥当な数字じゃないだろうか。

ところでコラムには同じ調査の過去の結果も掲載されており、そちらの方にいろいろ考えさせられた。それによれば、盧武鉉政権末期の2007年は9%、李明博政権の10年は21%。朴槿恵(パク・クンヘ)政権1年目の13年は24%。「少しずつ上昇している」とあるが、過去がひどすぎる。なかでも盧武鉉政権末期の9%は異常だ。

あの頃のことはよく覚えている。当初から保守派はこの民主化運動の英雄に攻撃的だったが、のちに「同志」までが彼の批判勢力になっていく。彼らは大統領のリアルな国政運営に対し、荒唐無稽な要求をつきつけ、党派的な批判を繰り返した。その結果が末期の支持率は過去最低のものとなった。
盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領への支持度が歴代大統領のうち最悪の5.7%に落ち込んだことが分かった。これまでの最低レベルだった任期末大統領(金泳三)の8.4%より2.7%低いもの。 」
http://japanese.joins.com/article/471/82471.html?sectcode=&servcode=200
彼は完全に孤立し、それは傍目にも気の毒だった。しかし、まさかあんな悲劇的な結末になるとは思いもしなかった。みんなが茫然自失となった。一方で、彼の名前を持ち出し、反省したり、いろいろ語る人も多かったが、私はそういう人たちが苦手だった。「死を無駄にしない」って都合のいい言葉だと思う。

ただ悲しみにはうそはなかったと思う。彼の同志たちはまた団結し5年後の大統領選挙では僅差で破れはしたものの、野党の存在感を十分に示すことに至った。ほぼ五分五分の支持率の与野党は、お互いを批判しながらもバランスのとれた国政運営が実現されるだろう。与党圧倒的多数の日本に比べても、韓国の方が本来の民主主義に近いものになるかもしれないと思った。ところが、それはまったくの幻想だった。

コラムによれば、韓国リサーチが行った最近の調査結果として、「(与党)セヌリ党はしっかりと仕事をしている」という回答は3月の31%から25%に減り、また「(野党)新政治民主連合はしっかりと仕事をしている」も同じく12%からわずか3%にまで落ち込んだ」という。与党の25%もひどいが、野党は3%である。

政治がここまで信頼を失った理由を、コラムは「何らかの対立が起こるたびに、一切妥協を許さない姿勢で戦う与野党の議員たちに対しても、国民の忍耐は限界に達している」と描写している。
そこには「セウォル号特別法」を取り巻く国民世論の分裂を、政治家は仲介するどころか、ますます溝を広げているという、国民の嘆きがある。

さらに野党に対する失望感が徐々に拡大している背景には、「国民の中に極端な対立を嫌う中道の考え方を持つ人が徐々に増えている現状があるのに、逆に野党内では極端な強硬論者が力を得ているという現状がある」と続ける。

野党に批判的な朝鮮日報であるにしろ、この指摘は間違っていないと思う。ばかりか、今の日本の状況をも彷彿とさせる。
「朴大統領を支持するわけではないが、かといって野党やデモをする人々の極端な主張にもついていけない」
この「朴大統領」は「安部首相」にも置き換えられる。
妥協が大切だ。今のままでは前に進めない。停滞して腐り始めるか、後退するか。韓国の風景も日本の風景もよく似ている。

釜山国際映画祭2014

今年もまた釜山国映画祭に行ってきた。1996年の第1回目から今年で19回目、毎年かかさず出かけてる。初期は仕事だったが、最近はプライベートも多い、ふらっと出かけて適当に映画を見てくる。予約システムは完備されつつあるけど、出品作すべてのプロフィールを見て事前予約するのは無理。行ってから、空席が残っているものの中から選ぶ。

準備もなく、偶然みたいなもんだ。

とはいえ偶然見た映画の影響は、実に翌年までひっぱる。昨年はたまたまチケットがとれたので、フィリピン人労働者を主人公にした映画を2本続けてみた。舞台はシンガポールイスラエル。1本はフィリピン人メイドの目を通してみたシンガポール中間層のストレス、もう1本はイスラエルに数多くいるフィリピン人不法移民の話、こちらの主人公の仕事は独居老人の介護だった。

子育て、介護、移民労働者。日本のNHKでもしょっちゅうやっているテーマだ。

イスラエルでフィリピン人労働者が急増している背景には、ガザ地区の問題があるのだけど、しかし、それはそれとして、世界は共通した課題を抱えている。そんな時代の先端部分のリアリズムが共有されるかどうかが、国際イベントの価値を決める。その意味ではオリンピックもノーベル賞も同じだ。(ノーベル平和賞は権威が下がりつつあるようだけれど。)

さて、今年の釜山映画祭ではPieter Van HEESというベルギー人監督の作品『荒地(Waste Land)』と、トルコのニューシネマの第一人者Reha ERDEM監督の作品『Singing Women』を見た。本当は『The Kindergarten Teacher』(Nadav LAPID/イスラエル・仏)や『Timbuktu 』(Abderrahmane SISSAKO/2014/仏・Mauritania)も見たかったのだけれど、上映時間が重なったのであきらめた。でも、今年中になんらかの方法で見ればいい。「見たい映画リスト」に作品を増やす。もともとそれが映画祭の目的でもある。

イスラエル映画と迷った末に選んたベルギー映画だったが、これが大当たり。作品もよかったけど、上映後の監督とのティーチインが面白かった。釜山に初めて来たという監督は、この街にも映画祭にも驚きを隠せないといったふうだった。
「なんて若い街なんだろう。真新しい高層ビルが並ぶ街、古いヨーロッパの街から来た私には驚きばかり。映画祭に来ているのも若い人ばかり。ブリュッセルの集まりでは、私がいつも最年少なのに」

1970年生まれ43歳の監督が最年少というのは笑いをさそったが、冗談ではないだろう。東京でも映画関係の集いでは、白髪交じりの人が多い。ところが釜山のティーチイ参加者は20代の若者たちがほとんどで、彼らが次々に質問の手を上げる。監督が驚くのも無理は無い。

『荒地』はT.S.エリオットの詩の題名だ。主人公のレオはブルッセルに住む刑事。パートナーの二人目の妊娠をきっかけにバランスを崩していく。担当する事件にはアフリカ系のコミュニティがからむ。
http://www.imdb.com/title/tt2294939/

ティーチ・インで監督は、「ヨーロッパのアイデンティティ喪失」という言い方をしていた。ベルギーはヨーロッパの中でももっとも「先進国」の一つであり、白人男性であるレオはそこのマジョリティだ。荒地は彼の内面と外部の両方に広がっている。
ヨーロッパのアイデンティティとはつまり、「圧倒的な優位」そのものだったのだろうか。最大の自由、最高の福祉制度、人種や性差別への反対、そして植民地の人々への同情。圧倒的優位が崩れと同時に、それらもすべて揺れ始める。

釜山映画祭はアジアの映画祭として、アジアや第三世界をテーマとして控えめに始まった。なかなか光が当たらない発展途上国の映画や各国のマイノリティーの苦悩を集めて発信する。それが「被植民地を経験した釜山」が自らに課した使命であり、アイデンティティーだった。
そこで欧州の、白人男性の、苦悩と破滅が描かれた映画を見ることになるとは…。今年の釜山映画祭もまた感慨深いものとなった。

東大門デザインプラザ

夢見て・作って・楽しむ
東大門デザインプラザ



2014年3月、着工から4年余りの歳月を経て、ついにオープンした東大門デザインプラザ。Dongdaemun Design Plaza の頭文字をとったDDPという呼称は、Dream(夢)、Design(創造)、Play(実践)という意味でもある。DDPのミッションは「市民と共につくるデザイン」。見せることを目的とした既存の美術館やギャラリーとは違い、DDPは様々な分野での新しいデザインのトレンドを創造し、発信をする複合文化空間である。

奇怪な銀色の構造物
 「あの銀色の物体は何ですか?」
東大門市場を訪れる人からよく聞かれた。オブジェにしては巨大すぎる、ビルには見えない。「まるで不時着した宇宙船」と言った人がいたが、まさにそんなイメージである。「東大門デザインプラザ(DDP)というソウル市の施設です。そろそろ完成する予定です」と言いながら、どんどん月日が過ぎていった。それがついにオープンした。
苦節4年、道のりは長かった。当時の市長が推進したプロジェクトそのものに批判的な市民も多かったし、あまりにも奇抜なデザインも論議を呼んだ。
設計者のザハ・ハディッド(63)はバクダッド生まれの女性建築家で、サダム・フセインが政権を握った1972年に一家でイギリスに移住した。DDPのオープンにあたりソウルを訪れた彼女は、記者会見ではちょっと不機嫌だったという。「建物が大きすぎる」「建物が地域のアイデンティティに合わないのでは?」等々の質問対し彼女は言った。
固定観念が死ぬほど嫌い。」
実際にDDPを訪れてみると、ザハ・ハディドの狙いが周到だったことがわかる。「不時着した物体」は見事に地形化し、周囲のファッションビル群がむしろ異質化していた。

ザハ・ハディッド₋360 「都市からスプーンまで、創造の360」

中身を創るのは人々

ザハ・ハディッドは巨大な器を作ったが、内部を動かすのは「市民」である。ソウル市民だけではない。居住地や国籍に関係なく、アーティストや専門家という資格もいらない、主体は普通の人々という意味だ。
それは「東大門市場の思想」ともいえる。世界の高級ブランドの下請として出発した街が、若いクリエータの創造の場となり、旺盛な消費者たちとともに流行の発信地を作り上げた。DDPは「アジアの底力」を象徴する街に着地したのだ。
DDPにはアートホール、ミュージアム、デザインラボなどがある巨大な建物の他、中庭をはさんで二つの中規模展示空間、そしてこの土地の過去を振り返る東大門歴史館がある。歴史館には、李朝時代や日本の植民地時代の遺物、全国高校野球が行われた東大門運動場だった頃の写真などが展示されている。それを見ることで、DDPの不可思議なフォルムは、また印象を変えるのだ。

工事の過程で出土した李朝時代の水門

新しいアートの中心地

国立現代美術館ソウル館


  

2013年11月、計画から4年の歳月を経て景福宮の西側に新しくオープンした国立現代美術館ソウル館(MMCA)。展示室はもちろん、資料館、プロジェクト ギャラリー、映画館、多目的ホールなど複合的な施設が集まり、多彩な芸術ジャンルのコラボレーションを目指している。かつて国軍の施設があった広大な敷地、そこをアートの中心地として再出発させる。その心意気がまさにアート、感動だ。


現場製作設置プロジェクト Y0UNG-HAE CHANG HEAVY INDUSTRIES 

アートに出会う
 美術館で大事なことはまず入っているみることです。特に最近の美術館は、さまざまな「仕掛け」があって、「アートなどよくわからない」と思っても、十分楽しめるようになっています。通路を歩けば、そこに突然あらわれる作品の数々。それが、光を浴びたり、鏡に反射したり、見る時間、角度によって、形を変えます。それは作家の計算でもあるし、見る側の発見でもある。特に、MMCAではオープン記念として、3つの大型現場製作設置プロジェクトが行われました。
 その一つ目は、美術館の中心にある大型展示空間「ソウル・ボックス」に設置されたソ・ドホ氏の『家の中の家の中の家の中の家の中の家』です。現在の家の中の過去の家。繊細な青と窓から差し込む光の美しいコラボは、記憶を断絶の恐怖から救ってくれます。
 その次の出会うのはチェ・ウラム氏の作品『オペルトゥス・ルヌラ・ウンブラ(Hidden Shadow of the Moon)』。天井からつられた巨大機械生命体は、子供たちにも大人気です。
さらに海外での評価も高いアートユニット、「チャン・ヨンへ重工業」のインスタレーションは、第6展示室と倉庫ギャラリー、そしてそれらをつなげる階段と通路が3つの空間と作品化されました。

アートに参加してみる



アレフ・プロジェクト Scale Free Network

見て面白いなと思ったら、次は作品に参加してみましょう。最近の現代美術館、特にメディアアート系の強いソウル館では、インタラクティブ(参加型)の作品も数多く展示されています。絵画や彫刻などの完成品をただ鑑賞するというだけでなく、自らも作品に参加してみる。一緒に作品を創造するという試みです。
たとえばオープンから3月半ばまで行われた「アレフ・プロジェクト」という企画展では、建築家、デザイナー、エンジニア、微生物学者などジャンルを超えた人々が集まり、実験的なアート体験現場を創りだしました。顕微鏡の中のミクロの世界と光と影のコラボ、さらに見ているもの自身が影法師として作品に動きを添える。こうした試みには、子供から大人までが楽しく参加できました。MMCAでは、今後もこのような実験的なアートが、一般客を巻き込む形でどんどん作られていくでしょう。
 また、この美術館の特徴はそのロケーションにあります。西の入り口は景福宮、北の入り口は三清洞、さらに東側の入り口からは仁寺洞へとつながります。文化観光のハブ空間、高い塀と鉄条網に囲まれた軍事施設は、こんなにも柔和で豊かな文化施設に生まれ変わったのです。


参加型のアート作品も多い。