ある先輩の話

気づいたら在韓25年。まわりがほとんど後輩になった今、先輩の存在はとても貴重だ。
そんな大先輩の1人から電話があった。「高級果物」をたくさんもらったけど食べるかと。先輩は一人暮らし。いつもおすそ分けをいただいている。

果物をもらいに待ち合わせのデパートのカフェに行く。一足先についた先輩はすでにあずき氷を注文していた。ニコニコしながら食べている70代の白髪のおじいちゃん、韓国ではよくある風景だ。
「よければどうぞ」と先輩はスプーンを指さしたけど(韓国では一つのかき氷にスプーンが2つ)、さすがに日本人同士でそれは厳しいかなと辞退した。

家が近いこともあり、ちょくちょくご飯を一緒に食べたりお酒を飲んだりもする。日韓関係にまつわる話は、ここでどっぷり暮らした人でないと分かり合えないこともあるし、さらにもっと上の世代の訃報が多くなった今、過去を語りあえる人も限られてくる。

ところで昨日、あれっと思ったのは、先輩がいつもと違う話をしたからだ。それはなんというか、大阪の原風景のような話だ。

1941年生まれの先輩は、終戦とともに九州の疎開先から大阪に戻った。朝鮮戦争の頃は、近所の子供たちと一緒に鉄くずを集めてお小遣いにしていたという。まさに開高健の『三文オペラ』の世界だ。
「僕らの鉄くずを買ってくれたのは、もっぱら朝鮮の男たちだった」

これは「韓国離れできない」先輩の、原体験なのかもしれない。その男たちの強靭な肉体が見えるような感じがした。
先輩は記憶の中の彼らの匂いなども語ったけど、私の中ではなぜか筋肉のイメージが広がった。ところで、先輩が彼らの肉体について覚えているのは、別のことだった。
「彼らはみな首の後に紅い斑点があった」
 紅い斑点とは? 私がお灸か針などの民間療法ですかと言ったら、先輩は少し笑って否定した。
「肝臓だな、今思うにあれば」

さらにこの日の先輩は、ふだんはめったにしない小さな孫の話をした。
「子供って重いのだね」

こんなことをブログに書いておこうと思ったのは、ポリタスで読んだ高橋源一郎さんのエッセイのせいだ。ポリタスの試みは本当にすごいといつも思っているのだけれど、今回の特集ではみんなが賞賛する平田オリザさんの原稿に非常に違和感をもっていた。
もやもやしていたものが、高橋源一郎さんの原稿で少しとんだ。
http://politas.jp/features/8/article/452