東大門デザインプラザ

夢見て・作って・楽しむ
東大門デザインプラザ



2014年3月、着工から4年余りの歳月を経て、ついにオープンした東大門デザインプラザ。Dongdaemun Design Plaza の頭文字をとったDDPという呼称は、Dream(夢)、Design(創造)、Play(実践)という意味でもある。DDPのミッションは「市民と共につくるデザイン」。見せることを目的とした既存の美術館やギャラリーとは違い、DDPは様々な分野での新しいデザインのトレンドを創造し、発信をする複合文化空間である。

奇怪な銀色の構造物
 「あの銀色の物体は何ですか?」
東大門市場を訪れる人からよく聞かれた。オブジェにしては巨大すぎる、ビルには見えない。「まるで不時着した宇宙船」と言った人がいたが、まさにそんなイメージである。「東大門デザインプラザ(DDP)というソウル市の施設です。そろそろ完成する予定です」と言いながら、どんどん月日が過ぎていった。それがついにオープンした。
苦節4年、道のりは長かった。当時の市長が推進したプロジェクトそのものに批判的な市民も多かったし、あまりにも奇抜なデザインも論議を呼んだ。
設計者のザハ・ハディッド(63)はバクダッド生まれの女性建築家で、サダム・フセインが政権を握った1972年に一家でイギリスに移住した。DDPのオープンにあたりソウルを訪れた彼女は、記者会見ではちょっと不機嫌だったという。「建物が大きすぎる」「建物が地域のアイデンティティに合わないのでは?」等々の質問対し彼女は言った。
固定観念が死ぬほど嫌い。」
実際にDDPを訪れてみると、ザハ・ハディドの狙いが周到だったことがわかる。「不時着した物体」は見事に地形化し、周囲のファッションビル群がむしろ異質化していた。

ザハ・ハディッド₋360 「都市からスプーンまで、創造の360」

中身を創るのは人々

ザハ・ハディッドは巨大な器を作ったが、内部を動かすのは「市民」である。ソウル市民だけではない。居住地や国籍に関係なく、アーティストや専門家という資格もいらない、主体は普通の人々という意味だ。
それは「東大門市場の思想」ともいえる。世界の高級ブランドの下請として出発した街が、若いクリエータの創造の場となり、旺盛な消費者たちとともに流行の発信地を作り上げた。DDPは「アジアの底力」を象徴する街に着地したのだ。
DDPにはアートホール、ミュージアム、デザインラボなどがある巨大な建物の他、中庭をはさんで二つの中規模展示空間、そしてこの土地の過去を振り返る東大門歴史館がある。歴史館には、李朝時代や日本の植民地時代の遺物、全国高校野球が行われた東大門運動場だった頃の写真などが展示されている。それを見ることで、DDPの不可思議なフォルムは、また印象を変えるのだ。

工事の過程で出土した李朝時代の水門