映画「光州5・18」

日本に住む友人が、『光州5・18』という映画を見て号泣したと、ミクシィ日記に書いていた。先月、話していたときに、「映画のよしあしはともかく、泣くよ〜」と予言したら、その通り。
当時のことに多少とも思いがある人には、冷静でいられない。映画の配給会社に勤めている友人(日本人)がいるんだけど、彼女なども冬の東京試写会で一人号泣。冷静に見ている同僚や他社の知り合いに「どうしたんですか?」
と不思議がられたとか。


1980年のあの日、私は大学1年生で、学生会館のテレビでそれを見た。 連行される学生。弾圧する軍隊。そして武装する市民。映画にも出てくる映像だ。

それから10年後、1990年の5・18、私は偶然ソウルにいて、タクシーのなかで「ノチャッサ」の歌を聴いた。韓国語はまったくわからなかったけど、これは絶対に光州の歌だと思った。(後でソラ、ソラ、プルルンソラだとわかった)。

翌年の5・18、私は韓国で日本語を教えていた。
クラスに光州出身で私と同じ年の男性がいて、その彼に向かって先輩格のパクさんが日本語で聞いた。
「キムさんは、5・18に何をしていましたか?」
「トマンタニョッソヨ」(逃げ回っていた)
「ウエ、トマンチョッソ?」(何故逃げた?)

パクさん当初、日本語のパターン練習のつもりで聞いたようにみえたのだけど、そこから先は日本語どころじゃなかった。韓国語で、しかも怒号が飛びあうような大討論会になってしまい、それはチャイムまで収拾できなかった。

キムはさんは、クラスの中でもっとも口数の少ない人だった。ただ、浅黒い肌と眼光の鋭さが印象的で、特に同じ歳だと知ってからは、勝手に親近感をもっていた。でも、彼が1980年5月当時、全南大学の1年生だったということは、そのとき初めて知った。

その後、韓国で暮らす中、さまざまな場面で歴戦の闘士に会った。たとえば、光州ビエンナーレを担当していた光州市役所の職員。下手な日本語が自慢の彼も、あの日、道庁に最後まで立てこもった人だったし、さきほど仕事で会った演劇俳優もあのとき光州で「不特定パルゲンイ」だった一人だ。

映画は昨年韓国で公開されたけれど、そこも涙、涙だった。特に40歳以上の当事者世代はただ、ただ涙が止まらない。
決して、政治的な映画ではない。当時、軍部の責任者だった全斗煥元大統領の名前は出るが、彼を声高に批難するわけでもない。
愛と友情と、そして犠牲精神。韓国人なら結末はみんな知っている。だから、小さなシーンにも涙が出る。

彼らに明日はなかったのだ。

キム・サンギョンの演技がいい。映画『殺人の追憶』でのスマートな都会派刑事は、この映画では無骨で純情な「一市民」を演じる。彼ら「一市民」の小さな喜び、悲しみ、怒りが社会を突き動かした。そんな韓国現代史のダイナミズムがいまさらに想起される。
主人公の弟役には『王の男』の女形で一斉を風靡したイ・ジュンギ。兄がとても弟を可愛がる、韓国らしい風景が心に染みる。市民軍の隊長はアン・ソンギが演じる。
(国民俳優であるアン・ソンギを市民軍側の隊長にしたことは、韓国社会が市民軍の「正統性」を認めたことになる)

キムさんはどうしているのかな。
まだ、あの会社に残っているのかな。
あのときの彼の怒った顔を、私は今でも鮮明に思い出せる。

http://www.may18.jp/