韓国でする「孤独のグルメ」⑤又来屋の冷麺

父親行きつけの我が家の味

韓国人は母親信仰が強く、二十歳すぎても毎日母親に電話する男や、「オモニ(おかあさん)と聞いただけで思わず涙が出そうになる」という50代女性などがいる。みんながそうじゃないとは思うけど、この50代女性がテレビはこう発言した時には、スタジオのみなさんが心から同意したようにうなずいていた。

私は20代のマザコン男は興味ないが、涙が出る50歳女性には少し関心をもった。彼女が描写する母親は「自己犠牲の化身」。家族のためにひたすら尽くす人。食事なども、夫や子供たちが食べ終わったあと、自分は残り物を食べる。一生懸命作ったのだから、なるべく美味しい部分を食べてほしいという気持ちは私にもあるが、彼女たちの場合はメインにほとんど手をつけず、みんなが食べ終わった後、残り物だけを食べる。ビビンバ、クッパ、ヌルンジ。これはこれで美味しいのだけど。

なので韓国でも、「我が家の味」と言ったら、当然「おふくろの味」を連想する。しかし、他の国と同じく、韓国の母だって料理が苦手な人もいる。田舎から送られてきてキムチ。懐かしい母の味。でも、正直美味しくない。でも、韓国人は優しいからそんなことは言えない。「おいしかったありがとう」。でも食べない。
こうして、多くの「おふくろ味」は受け継がれない。

一方、「おやじの味」は意外に受け継がれるケースがある。今回はそんな話。

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「又来屋の冷麺」

季節のある街に暮らす人々は、それだけで豊かだと思う。季節ごとのファッション、季節ごとのレジャー、そして季節ごとのメニュー。夏はやはり冷麺やコンククスだろうか。街の小さな食堂なども、6月になると一斉に「冷麺開始」の張り紙が出る。

そんな話をすると、必ず「あれ、冷麺は冬の食べ物じゃないの?」という向きがいる。確かに、朝鮮時代の「東国歳時記」(洪錫謨著1849年)」という本には、冷麺が「11月(新暦の12月にあたる)の季節料理」とある。なのでガイドブックなどにも、「ぽかぽかのオンドルの部屋で食べる冷たい冷麺の美味しさ」なんて記述を見かけることがある。

でも、韓国で長く暮らす者に言わせれば、「冬に暖かい部屋にいたのは上流階級だけ」、「今でも一軒家とかものすごく寒い。冷麺はやはり夏でしょう」となる。
それでも、ひとつ言えるのは、冷麺とはもともとそば粉やサツマイモ粉の麺に、凍ったトンチミの汁をかけて食べるものだった。冷蔵庫が普及した現在ならともかく、かつては冬にしか食べられなかったものだ。つまり「冬の味」。でも、今はもっぱら夏、あのさっぱりとした味わいは、抜群の清涼剤となる。

さて、どこで食べよう? 韓国人には他のものはともかく、冷麺にはうるさいようだ。なかでも平壌式(ムル冷麺)に関しては、「この店一筋」といった人も多い。

平壌式冷麺のビッグ3といえば、かつてから乙支路麺屋、平壌麺屋、又来屋と言われていた。いずれも北朝鮮出身者の創業者が半世紀以上前に始めた店で、今は二代目、三代目が後を継いでいる。「故郷の味を懐かしむ人のために、昔の味を守ってきた」せいか、麺は蕎麦が多くちょっとくせがある。若い人の中には、それよりも最近の冷麺屋のさっぱりとした味を好む向きもある。

でも、わたしはやはりこの3軒が美味しいと思う。なかでも又来屋、ここの冷麺は私にとっては別格だ。「これこれ。やっぱり来てよかった」と、いつも思うのである。

この夏もさっそく又来屋に行ってきた。あいからず高齢者が多かった。創業以来の常連客の息子さんが言っていた。
「92歳になる父は、今も週に一回冷麺を食べに又来屋に行きます。もう50年以上、そんな父につきあっている私も、もう冷麺はここしかダメですね」

オーナーも代替わり、お客さんも代替わり。老舗がないと言われる韓国で、こんな冷麺屋へのこだわりは、なんだかホッとする。受けつがれる「我が家の味」は「おふくろの味」だけじゃない、「おやじが行きつけの味」もあるのである。