マイノリティー支援と韓国企業

以下は22日付の東京新聞に掲載されたコラム記事。これは原文なので、掲載されたものとは若干違うかもしれない。でも、今回は字数調整もなかったので、ほぼ同じだと思う。

レ・ミゼラブルよりもこちらの方が感動した」という人もいる、映画『マイ・リトル・ヒーロー』。フィリピン人の母と韓国人の父をもつ「多文化家庭」の少年が、ミュージカル『朝鮮の王』のオーディションに挑戦する物語だ。
「多文化家庭」とは外国人労働者や国際結婚の家庭をさす言葉だ。韓国が多文化主義政策を取り入れ始めたのは2000年代半ば。日本以上にスピードの速い少子化(2005年の出生率は1.08)や、格差社会での深刻な結婚難(農村での「嫁不足」など)をうけてのことだった。政府は様々な支援策を実施するとともに「彼らも韓国人だ」というキャンペーンを繰り広げているが、差別と偏見の壁は厚い。映画の中でも、「褐色の肌をもつ少年が朝鮮の王をやれるのか」と言葉が主人公を傷つける。
ストーリーはシンプルだが、画面がとても温かく、ずっとそこにいたくなる。
主役を演じるジ・デハン君(12)は自身もスリランカ人の父をもつ「多文化家庭の初の映画スター」。彼らの街を取材にきたキム・ソンフン監督にスカウトされた、舞台あいさつで泣いてしまった彼を思わず抱きしめた共演のキム・レオンは3年ぶりの映画復帰作。包み込むような優しい笑顔がとてもよかった。 (東京新聞「アジア通信」舞かなこ)


舞かなこというのは私のペンネームで、ずっと以前、官能小説の月刊誌に連載を頼まれた時に「ま、いっ、かな」という気持ちで使用を始めたものだ。6か月の予定だった連載は結局10年も続き、思いつきのペンネームから離れられなくなった。その途中で韓流ブームが起きて、講談社から文庫本『ビビンバの国の女性たち』まで出していいただいた。東京新聞のコラムもその頃(今、見たら2004年)に始まった。当初は韓流通信という題名で署名も「舞かな子」だった。それが今は「舞かなこ」になっている。「かな子→かなこ」? あれ? いつ変わったのか気付かなかったが、ま、いっ、かな。

ところで私がこのコラムをわざわざブログに取り上げたのは、既定の短い字数に収まりきらなかった部分を少し補足したかったからだ。「多文化家庭」の問題は単にマイノリティー差別の問題というだけではない。韓国という国が歴史的・地政学的・言語学的にどういう国なのか? 韓国という国が現在どんな問題をかかえており、今後どういう「国の姿」をめざしているのか? 「多文化家庭」の問題は、韓国という「国のあり様」を知る上で、もっとも重要なテーマの一つなのである。

現状で、多文化家庭の問題は「とても韓国らしい問題」である。家族主義、血統主義能力主義、格差・性差容認、道徳志向主義、グローバリズム中華思想、…一根本にあるのは、この国独特の「儒教」であるのだが、それは専門家(古田博司小倉紀蔵など)の先生方の著作に詳しい。古田先生と小倉先生は、政治的立場は違うようで、発信されている内容も最近はずいぶん違う印象があるが、ベースにある韓国社会の見方はそんなに違わないと思う。私はアカデミックな分野には疎遠な人間だけれど、お二人の著作だけはずっと読んでいる。

さて、儒教と多文化家庭の問題については以前のエントリー「6万人のベトナム人妻」でもとりあげた。
http://d.hatena.ne.jp/kangazi20/20121126/1353891542
 韓国の農村や都市低所得層に嫁ぐ外国人妻はベトナム女性が一番多いのだが、それはどうしてか?
韓国とベトナムといえば、現代史に詳しい人は、ベトナム戦争のことを思い出すかもしれない。当時、米国の要請で韓国はベトナム派兵を行い、戦争とはいえかなり残虐な行為も行った。さらに、ベトナム女性との間にできた子供の問題などもあり、韓越国交回復直後はその韓国の加害性・反省をめぐる論議のしきりに行われた。でもその問題と、2000年以降に約6万人ものベトナム女性が韓国に嫁いだことと直接の関係はないようだ。なぜかといえば、ベトナム側から見ると、韓国よりもさらに多くの女性(一説には16万人)が台湾へ嫁いでいるのだ。

動機は「出す側」「入れる側」の双方にある。ベトナム、韓国、そして台湾という三国。そこに共通するのは、儒教(つまり歴史的・現実的な中国との距離))だと思う。台湾に関しては、日本では「韓国=反日」、「台湾=親日」という側面が注目され、両国の違いばかりが強調されている。でも、韓国と台湾はよく似ている部分も多い。
台湾がさきがけとなったベトナム人妻が次に韓国を行き先として選んだ。「韓流」ももちろんある。最近、ホーチミンハノイを訪れた日本人から「そこはまるでソウルだった」という話をよく聞くが、市内バスの9割はヒュンデであり、しかも格好いいからとわざとハングル文字をつけて走っているバスもあるという。また、サムスンやLGのテレビで放映される韓流ドラマから垣間見る韓国の暮らしは、都会的な華やかさにあふれている。
ベトナム女性にとって韓国は「あこがれの地」。そして迎える側の韓国人にとっても、高齢者を敬い、一生懸命働くベトナム女性は「一昔前の韓国女性のように可愛い」。韓国とベトナムは共通点が多い。しかし、だからといってこの国際結婚が非常にうまくいっているわけではない。その大多数は、ベトナム女性の想像を絶するような忍耐によって支えられている。多くの報告を読む限り、ベトナムは「社会主義国」としては断トツに女性の地位が低く、韓国や台湾に嫁ぐ女性の多くが「家族のため」だという。お正月に再放送されていた「おしん」の時代のようだ。(そういえば、かつてベトナムおしんは大ヒットしたという。今も「伊東四郎」みたいなおとっつぁんがいるんだろう)。

ベトナムについて書き出すと止まらなくなるのだけど、私がここで書きたかったのはそのことではない。
私が補足したかったのは、「多文化家庭問題をもっとも真剣に取り組んでいるのは誰か?」ということだ。政府、市民団体、人権団体? 
ずっと以前、この問題を取材していた頃、アンサンという外国人労働者の街で支援運動の中心にいた牧師さんを訪ねたことがあった。小さな労働相談所は外国人労働者の駆け込み寺のようになっており、給食サービスも行われていた。私もそこで昼食を御馳走になったのだけど活動は教会関係者やボランティアによって支えられていた。その風景は日本で行われている外国人労働者の救援活動とよく似ていた。
しかし、その後、韓国政府は外国人労働者の移入を政策化し、さまざまな取り組みをおこなった。
2004年8月に雇用許可制の導入
2006年5月に外国人政策委員会の設置
2008年3月に多文化家族支援法の制定
主導は民間ボランティアから政府や自治体に移り、予算も計上されてさまざまな取り組みが行われることになった。さらに大企業がこれを大々的にバックアップした。
「国内の外国人を大切に扱いましょう。それが国のイメージアップにつながる。そしてそれは韓国製品の輸出増大につながる」
こうしてサムスン、LG、ポスコなど多くの大企業が多文化家庭支援に力を入れるようになった。それが2000年代半ば。それがどれほど正しいことだったか、その後の韓国企業の飛躍的な発展をみれば明らかだ。

冒頭のコラムで紹介した映画『マイ・リトル・ヒーロー』は、韓国ではテレビのスポットなどでも扱われていた。インタビューに答える関係者の中に、なつかしい顔が混じっていた。10年前にアンサンの労働相談所でお会いした牧師のキム・へソン牧師だ。牧師の地道な活動は2009年には「地球村国際学校」という、多文化家族子弟のために学校建設という形で結実した。この学校を全面支援したのはポスコであり、その創設者である朴泰俊氏が亡くなった際には、学校の児童生徒が弔問に訪れている。
「わたしたちの学校の後援者は市民の一人一人の寄付はわずが、多くが企業です」
キム・へソン牧師はテレビのインタビューで割り切ったように答えており、その決然とした様子は印象的だった。民主化闘争の時代から「戦う聖職者」として活動してきた彼については、また機会があったら書いてみたい。

つまり私が言いたいことは、こういうことも韓国の企業はしているということだ。ポスコ新日鉄との間で特許訴訟問題もあり、日本人の中には嫌う人もいると思う。メイドインジャパンが失墜したのは中韓のパクリせいだとか、あるいは為替レートのせいだとか。もちろん、為替レートのせいは大きいと思うが、韓国企業は日本人が気付かないような部分も周到にやってきた。
その一つが多文化家庭支援なのである。映画『マイ・リトル・ヒーロー』の製作・配給はサムスン系のCJエンターテイメントである。さらにサムソン系のCJ食品が運営するレストランチェーンは非常に積極的にこの映画宣伝のキャンペーンをしている。

もちろん、企業としては安い労働者がほしく、また、その人たちの母国に商品を売りたい。これを「偽善」と切り捨てるべきではない。日本国内にある外国人への蔑視や差別をそのままにすることは、日本の企業や国益にまったく反する。新大久保で時々おこる韓国人排斥のデモは、日本に印象を非常に悪いものにしている。
 これは極端な例かもしれないが、外国で「日本人はレイシズムの傾向が強い」と報道される時には引用される。また、ここまでいかなくても、韓国や中国に「本当は負けていない」と思っている人は多いのではないか。もちろん、一部ではそれは事実だし、日本人は他の外国人にはない優秀さや良さをもっている。が、他の外国人もやはり、日本人が気付かないような良さがあるのだ。20年前、韓国で暮らし始めた頃、韓国人を「井の中の蛙」だと思った。自画自賛にいつもうんざりしていた。でも、今は日本の「根拠のない優越感」に危ういものを感じる。