未来都市釜山、でも人は変わらない?

月に一度ずつ釜山に行っている。
いろいろ気になったこともあるので、ちょっとメモしておこうと思う。

釜山に初めて行ったのは20年ほど前、長く滞在したのは1996年の冬、フジテレビの「メトロポリタンジャーニー」という旅行番組のロケだった。
番組のコンセプトは「貧乏旅行VS豪華旅行」という二つのプランを競うもので、関釜フェリーに市場で買った布団を持ち込んで寝るみたいな旅行と、海雲台の高級リゾートで快適なホテルライフを楽しむみたいな旅行を、対照的に描くというもの。

コンセプトは面白かったけれど、かれこれ16年も前、韓流以前、ワールドカップ以前、しかもソウルではなく釜山ということで、すでにあるものはほとんどなく、まったくの手探り状態だった。特に当時の釜山で「高級リゾートの旅」を演出するのは大した力技だったが、でもあの頃はまだ番組もそれなりに製作費をもっており、かなり作りこんだ記憶もある。

最近、あの番組のことをよく思い出すのは、今だったらあんな無理な演出しなくても、簡単に「二つの釜山を作れるだろうな」というシーンが多いからだ。海雲台の急激な変化と、旧市街の相変わらずさ。ソウルの格差もすごいけど、釜山はさらにすさまじい。

「まるで外国に行ってきたみたい」(ソウル在住60代男性、サウジアラビアで暮らした経験あり)
「まるで未来都市」(私)

「未来都市」とまで思ったのは、昨年の今頃、釜山ー対馬を船で旅行した時だ。対馬と釜山は新しい航路もできて、船でわずか1時間半しかかからない。まだ江戸時代の街並みが残る対馬の風景に慣れた目に、わずか数時間後の釜山のセンタムシティのハイウエイと超高層マンション群の光の海は、とてつもなく非現実的だった。

それは釜山の他のエリア、たとえば影島や旧市街の「貧しい街」との対比よりも印象的だった。おそらく、釜山市内の古い街はやがて再開発されて無くなるのがわかっているからだと思う。一方、対馬の街並みは、そのまま変わらないはずだからだ。

どちらがいいのか、まったくわからない。でも、釜山に限らず、韓国では風景は残らないと決まっている。
「韓国人は自然とか古き街並みへの愛着はないのでしょうか?」
と、よく聞かれる。
「ないわけではないでしょうが、それよりも変革を好むのですよ。それも儒教精神ですから」と答えるのだけど、うまく通じていないように思う。


街は変わっていくけど、人々はあまり変わらないなと思う。そう思ったのは、一昨日、釜山の地下鉄の中で観た光景。ベビーカーに乗っていた赤ちゃんを、隣に座った大学生ぐらいの男の子が楽しそうにあやしていた。
韓国人は赤ちゃんが大好きで、みんなでよってたかったあやす。日本でも中高年女性で赤ちゃんとかまう人はいるが、韓国では年齢・性別はあまり関係ない。
特に若い男の子が赤ちゃんをあやす光景は、日本ではほとんで見られないため、初めて韓国で暮らし始めた頃は、ちょっと驚いた。
それは今も変わらない。

赤ちゃんは泣く。そして、笑う。子どもは遊ぶ、そして声を出す。過去の日本は、子どもに対して世間が温かく、驚くほどに大事に育てていたと世界中ぢ伝えられている。まさに「子は宝」を地で行った国が、いつやら変容して「うるさい迷惑物」扱いをする人たちが影響力を持つようになったのだろう

https://twitter.com/hosakanobuto

これは保坂展人さんのツイッターから。


街の風景は変わっても、変わらないものはある。
あるといいなと思う。