韓国国会でのFTA批准に関して

昨日の韓国国会。米韓FTA批准をめぐって荒れることは予想されたが、まさかの催涙弾まで登場して、海外マスコミもびっくり、一斉配信された関連記事の報道順位が変わった。

催涙弾(ガス)を投げた人物は民主労働党のキム・ソンドン議員。直後の声明はホームページにアップされている。
http://www.sundongv.net/

以下は抜粋。

망국적이고 매국적인 한미FTA가 절대로 통과되서는 안된다고 생각했습니다.
亡国的で売国的な韓米FTAは、絶対に通過してはいけないと思いました。

저희 어머님 아버님 지금도 전남 고흥에서 농사를 짓고 있습니다. 저희 형제들이 부산에서 서울에서 자영업자로 살아가고 있습니다. 이 땅 서민들의 앞날을 가로막고, 이 땅 서민들의 생존권을 무너뜨리는, 이 희대의 매국적 협정에 대해 저는 도저히 묵과할 수 없었습니다.
私の両親は今も全南(チョンナム)高興(コフン)で農業をしています。 兄弟は釜山やソウルで自営業を営んでいます。庶民らの将来を考えれば、彼らの生存権をおびやかす、この希代の売国的協定を私はどうしても黙過できませんでした。

저는 이토 히로부미를 쏜 안중근 의사의 심정으로, 윤봉길 의사의 심정으로, 우리 대한민국 서민을 짓밟고 서민의 운명을 깔아 뭉게는 이명박 정권과 한나라당에게 참을 수 없었고 묵과할 수 없었습니다. 국민 여러분 이후 제가 책임져야 할 부분이 있다면 책임지겠습니다.
私は伊藤博文を撃った安重根義士の心情で、尹奉吉義士の心情で、私たちの大韓民国庶民を踏みにじり、庶民の運命をめちゃくちゃにする李明博政権とハンナラ党のやり方に我慢できませんでした。


日本の植民地時代の独立運動家に自分を例えるあたりに、この政治家の気負いがうかがえる。民主労働党所属、プロフィールは以下の通りだ。

김선동
1967年 全羅南道高興生まれ
1984年 順天高等学校
1985年 高麗大学物理学科入学
1987年 中退
1988年 光州虐殺真相究明のための米文化院占拠闘争
1989年 蔚山 現代重工業社内下請け勤務
1990年 光州 起亜自動車下請け勤務
1993年 光州 錦湖タイヤ社内下請け勤務
1997年 兵役
2000年 民主労働党の活動本格化
2011年 4月〜 国会議員 外交通産委員会

ツイッター
http://twitter.com/#!/sundongv

全羅南道出身、民主化運動の中心であった高麗大学に在籍、中退後は労働運動へ。
彼は筋金入りの活動家であり、民主労働党の支持者は多いわけではない。でも、今回のことに関しては、一般の人々からの共感もうけるだろう。
2007年当時と今では、米韓FTAに対する国民の意識はずいぶんと変化している。問題は、それによる利益の不平等な分配だ。
「現状でもひどいので、条約批准でますます悪化するのではないか」ということだ。

私はこの条約が批准された直後に、単行本『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社、2007年)で、このFTA問題をレポートした。もちろん当時から徹底した反対派もいたが、体感としては国民の多くは大統領の決断に納得していた。盧武鉉大統領を「見直した」と言った人々もいた。

「久しぶりに盧武鉉大統領が光って見えた。やるときはやる。それが男だろう」
飲み屋では中年男性がニコニコしながら話していた。
「まあ、結果がどうなるかわからないけど、大統領も政府もよくやったんじゃないですか」
タクシーの運転手さんも、日本人の私にFTAのことを聞かれるのがまんざらでもないという表情だった。これまでは10台中9台の運転手さんが大統領の悪口を言っていたのにね。


実際に大統領の支持率は締結の翌日に30%台まで回復した。
当時、韓国人の多くには、「日本に先駆けて、アジアで一番乗り」という気負いがあった。対米輸出で日本に勝つためだ。(それが今になって、この条約を米国の押しつけだという批判は自虐的すぎる。)

日本に勝ちたい。だからこそ、盧武鉉大統領の苦渋の選択も、国民の理解を得ることが可能だった。また大統領がFTAを推進した理由は、「市場開放が雇用を生み、それが二極化(格差)の是正となる」ということだった。2006月の新年演説では、そのことが必死に訴えられていた。
http://www.jke.or.jp/img_cgi/2006024174437D.pdf#search='盧武鉉 新年演説'

ところが、現状は想定外の方向へ。この条約が批准される前に、「サムスンソニーに勝ってしまった」のだ。
条約が締結された4年前と現在で、誰もがわかる大きな変化とは、韓国の輸出産業の大飛躍だ。それを代表するのがサムスンと韓流(文化コンテンツ)。最近、日本におけるTPP議論を聞いていると、まるで日韓が逆転したような錯覚をうける。
かつて韓国が日本を抜こうとFTAを推進したが、今は日本が「このままで韓国に水をあけられる」と貿易自由化をあせる。

しかし、サムスンの飛躍も韓流も、米韓FTAとは無関係である。FTAがなくても、サムスンはさまざまな分野でトップに躍り出て、世界を驚かし、日本を脅かすことになった。となると、盧武鉉政権時代には皆が共感した「FTAの早期締結で日本に勝つ」というモチベーションは下がるしかない。

さらに問題は、わが世の春を謳うサムスンの、その栄光が韓国国民に共有されていない点だ。かつては経済分野における対日攻撃のセンタ-
フォアードとしてもてはやされたサムソンだったが、今はそんな国民的支持は無い。原因は社会貢献度の低さ、そして一族の独占体質だ。

分野によっては世界一の企業になりながらも、それが韓国社会に還元される気配がない。それどころかすべて自分の系列下に飲み込み、そのトップに一族の人間を配置して「王国形成」をする。(未来の大統領候補? アン・チョルスが異議申し立てをしたのもこのあたりだ)。
 韓国最大のグローバルな企業と言われながら、もっとも閉鎖的な企業グループ。友人のイギリス人ビジネスマンは韓国からの撤退の際に、こんなことを言っていた。
「韓国に自由な競争はない。サムソン系列に入らない限り、どんな素晴らしいコンテンツを作ろうが、競争に参加すらもできない」
IMFによって、一度解体されかかった財閥独占は、サムスンによって修復・再統合された。

与党ハンナラ党は、「FTAを始めたのはノムヒョン大統領ではないか」と、批准に反対する一部野党を批判するが、あの時と今とでは内外状況がまったく違う。その意味で、野党にも、ただ反対するだけではなく、方針転換に関する真摯な自己批判と説明が必要だ。

今、振りあえると驚くが、盧武鉉大統領がFTA締結を決意したのは、それが雇用創出、格差解消につながると考えたからだった。そんなのは無理というのは、サムソンという企業を見ているだけでもよくわかる。韓国はそろそろ長年の政策を転換する時期に来ているようだ。

輸出重視、大企業保護が国益につながり、それで国民生活を底上げする。もう、そんな牧歌的な国民国家の時代ではない。

サムソン嫌いの韓国人も増えている。この企業は国民に富はおろか、夢さえも分配しない。
若者の中には、ギャラクシーではなく、あえてアイフォンを選ぶ人もいる。
「イ・ゴニには自分たち一族の繁栄しかなかったが、でも、スティーブ・ジョブスにはみんなが見られる夢があった」
偶然知り合った大学生とそんな話をしたのは、つい最近のことだ。