母からのメール「原発を離れる決心?」

浜岡原発停止要請のニュースをうけて、昨日母からメールが来た。
タイトルは「我家の原発から離れる決心?」とある。

あれ、引っ越すのかな?
昨日の日記にも書いたけど、実家は原発から80キロ。しかも、これから停止されようという話になったのに、いったいどうなっているのかと思ったら、
違う話だった。

母が起こした行動と、政府の行動が偶然にも共同歩調だったという話。
以下、メールからそのまま。

4日(水) Kちゃん(弟、理系)が来たとき、我家も「太陽光発電」にしたいと言ったら、Kちゃんもその方が良いと賛成してくれました。
ついでにTちゃん(妹婿、ガテン系))に「太陽光発電」のことを聞いて欲しいと頼みました。
*Tは昨年、自分で自宅を建て、そこに太陽光発電を導入

5日(木) Mちゃん(妹、ファッション系)一家が、突如「浜岡原発」を見に行って着ました。海江田さんと同じ日です。

6日(金) 夜、突如、菅総理の会見があってびっくりしました。

太陽光発電」の会社の人が来週(火曜日)に、家に説明に来て呉れるそうです。

太陽光発電」をどう思いますか?
私の歳から言うと絶対元は取れないとおもうけれど。100歳まで頑張って生きて元を取りますか?

もう一つ、私の心の中には、お父さんが今のまま(要介護)でいる限り、外国旅行したりして、お金を使うことは出来ない思います。せめて、少しは世の中に還元しなくてはとも思います。この事、どう思いますか。

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原発から離れるとは、母なりの脱原発の決意でした。


ところで、私が原発に最初に反対した理由は、実は浜岡原発の件ではなく、六ヶ所村核燃料サイクルと、幌延の最終処分場の件だった。
永遠に管理するしかない、「核のゴミ」問題。
25年前当時、1万年も地中に埋めるとか、宇宙に飛ばすとか、もう途方もない話ばかりだった。

私は一方で、日本の科学技術に対する信頼や、世の中の進歩に対する期待もあり、チェルノブイリのような大型事故が日本で起こるとは思っていなかった。そういうことが「起っておかしくない」のはわかるのだけど、自分の乗る飛行機が落ちないと信じているように、「大丈夫だろう」と思っていた。

今回の事故で、4半世紀ぶりに原発のことを勉強しなおして、やはり「最終処分」関係のこともまったく解決が見えていないことがわかった。
残念ながら、原発には未来がないと思う。

もちろん、すぐには止めれないだろう。
浜岡はたかが11%なのでいいけれど、フランスなどは国そのものが成り立たなくなる。
大阪の橋下知事は、もともと浜岡止めろという主張たったため、今回のことで関西から中部を協力する旨のアピールを早速出している。
関西電力こそ、原発依存度が高く、ちょっと本末転倒な気もするけど、でもリアリストらしいいい提案だと思う。

日本の脱原発は、先進国として実体のある新しい提案になっていほしい。
原発は中継ぎとしては、がんばったが、もう長くは投げれないだろう。

私は母の脱原発を支持し、協力したいと思う。