海外の視線

日本人がほめられている(いた)。未曾有の災害にもかかわらず、人々はみな冷静沈着だと。韓国の報道は当初からそのことを必ず付け加えたし、娘の担任(アメリカ人)もそれを言いながら、私の手を握りしめた。

「そんな強い人々なのだから、日本はぜったい大丈夫ぶ」と。
でも、違うんですよ。沈着なのではなく、茫然自失。怒りや悲しみすら、停止してしまったのだと、心のなかでつぶやく。

そんな日本人への同情や賞賛も、フクシマ・ダイイチによって不信と警戒に変わっていく。震災翌日、すぐに知り合いのスペイン人にロングライフミルクの備蓄をすすめられたのはこの日記にも書いた。チェルノブイリを経験した人々なら、誰もが考える結末がある。

欧米人の「核反応」に対して、日本国内は「それどころではなかった」。一刻も早く行方不明の家族を探すこと。避難所で子供に与えるミルクを確保すること。みんなそれぞれの状況で必死だった。自分の家族、友達、従業員のことで必死だった。唯一、原発のことに関心をもてるのは、「当事者」である東京電力(と原発を製造しているメーカー)だけだった。当初、政府は東電を信頼していた。しかし、途中でこれではだめだと、官邸は東電に乗り込んだ。

外国プレスはすでに、この問題に関しては日本政府も信用できないという姿勢だった。「何か隠しているに違いない」。韓国の報道も、日本よりも他の外国プレスからの引用が多くなった。政府の自国民避難命令も米国のと同じく原発から80キロに広げられた。さらに日米で意見がわれた4号炉のプールの水をめぐっては、こんな意見も述べられていた。

4号機の映像を見たソウル大学原子核工学科の黄一淳(ファン・イルスン)教授は「水があるのなら、画面のように明るく光らないだろうし、また蒸気も発生しているはずだが、そのような映像はなかった」とした上で「明るく見える部分は、燃料棒の一部が空気中に露出したものではないか」と指摘した。4号機の使用済み燃料棒保管プールに水はないとするNRCの発表の方が、より信頼できるということだ。黄教授は「この映像を根拠に東京電力が4号機に放水作業を行わないのなら、これは理解に苦しむ」と述べた。

http://www.chosunonline.com/news/20110319000014

枝野さんの記者会見は彼ならではの注意深さがあり、日本人を冷静にするには効果があったが、「チェルノブイリの被害者たち」には何の安心感を与えなかった。沈着な日本人は、不気味になっていく。

怒れ、みんな怒っていいんだ。

震災から8日たった昨日、はじめて怒りの声を生で聞いた。
栃木県に避難した20キロ圏内の初老の男性だった。「東電にだまされた」
彼に共感する人は世界中にいる。
これを見たドイツの友人が言っていた。「そう、私も東電に対して怒っている」

そして、ツイッターにも書いたけど、関東地方に避難し福島県の人は「軒を借りる」のではなく、「母屋に接待される」心意気でいてほしい。フクシマ第一は、首都圏の人々のためにあったのだから。

韓国人なら今ごろ、東電本社を「避難所」にして、当面の生活費を要求しているだろう。
日本人はそういう人々ではない。でも、出向いて行って、お茶の一杯も接待してもらっていいと思う。

今、皆がもっとも心配しているのは、この「福島県」の今後と、現在フクシマ第一と戦っている消防や自衛隊員、そして原発内に残る東電や関連会社の人々の健康だろう。
作業中の被爆線量は管理できても、不測の事態は起こりうる。すでに3度も爆発している。消防体長や隊員の記者会見を見ると泣いてしまう。男たちは妻とのメールの内容を発表して、目を赤くしながらも、やはり淡々と語る。
この冷静さ、沈着さは、不気味ではなく、勇気ある日本人として、世界中に配信されている。

今日は4号機に放水が行われるそうだ。
やはりプールに水はなかったのだろうか。