バイリンガル・モラトリアム

日本から来ている留学生から相談をされた。
「日本で就職するか、韓国で就職するか、あるいはアメリカに留学するか」

彼女は日本生まれの在日韓国人。現在、韓国のいわゆる名門大学に在籍している。学部は国際学科。すべての授業が英語で行われ、在籍する学生も海外からの留学生(とはいっても、その大半は僑胞といわれる在外韓国人)が多数を占める。

「友人たちの多くはアメリカの大学院への進学します。私も英語のスキルアップのためにそれも考えるけど、でも親にも迷惑をかけるし、やっぱに就職しなきゃだめかなと」

「で、どんな仕事をしたいの?」

「それがわからないんです。今まで、授業についてくのが必死で、考える時間がなかった。自分が何をしたいのかわからない」

英語での授業、英語での試験、英語でのエッセイ…、それは想像を絶するほどしんどかったという。日本では「ゆとり」の時代の人だ。おまけに大学も推薦で、本格的な受験勉強の経験もなし。彼女にとっては、はじめての「勉強漬け」体験だった。

英語の問題も大きい。高校時代にわずかな留学経験があるとはいえ、彼女にとって英語は学問をする手段としての言語ではなかった。学術的志向の基礎を、未熟な第2言語で構築していくのは、簡単なことではない(というよりも効率が悪すぎる。)

もっとも専門分野が決まってからの大学院留学ならまだいい。 それなら、自分の思考を「翻訳」できるから。でも、日本の高校を卒業したばかりの学生に何があるだろう? 自分が学んでいるものが何で、自分はその中でも何に関心があるのか、届かないうちに3年間が過ぎてしまったとしても無理はない。

私自身をふりかえっても、大学の授業で一番つらかったのは学部一年生で、中国古典を原文で読まされる授業だった。会話の授業では「私は学生です」なんてやっている時に、難しい古典を音読させられる。「漢文」を否定するのが、当時の中国研究の「革新・核心」だった。中国古典を目(漢字)で理解してはいけない。現代中国語で遡行することに意義があるというのだが、読むだけで必死。「音」で理解なんて、出来るはずもなかった。

したがって、「古典講読」に関しては完全敗北。三国志でも金瓶梅でも、いっそのこと日本語で読んでから古典の授業を受ければよかっ。もったいないことをしたと思う。(日本の翻訳分野はそれほど優れている)。でも学生時代、それ以外で勉強したことの中には、身についたことも多い。大学の授業とは直接関係ないことばかりだったけれど。

私は彼女に相談されて、一緒にいろいろ考えているのだけど、一つだけ「これは違うな」というのには、意見した。「英語のスキルアップのために留学」という部分だ。
「英語で」勉強してきた人が、「英語を」勉強する? 英語学者やプロの通訳になるなら別だけど、そんな「補修」のためにわざわざアメリカ留学する必要があるだろうか? それなら、むしろ日本に行って、自分の学んで来たことを、日本語で一度整理したらどうだろう? 靴の上からかゆいところを掻いていたような感覚から解放されるかもしれない。

バイリンガル・モラトリアムの若者と接する機会は多い。少々外国語ができるからと、重宝されるのだけど、それはただそれだけだ。プロの通訳とは違って便利使いされるだけ、今の韓国なら、それによってバイトの時給は上がるかもしれないけれど。


今朝のYahooニュースには、ハーバー大学の日本人留学生が韓国の8分の1、中国の7分の1という記事がのっていた。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101027-00000013-pseven-pol

ハーバード大学でも、昨年の留学生666人のうち日本人はたったの5人だった。韓国42人、中国36人、シンガポール22人、インド20人に比べると大きく水をあけられている。米国への留学生自体、昨年の日本は3万人足らずで、約10万人のインド・中国、約7万人の韓国の後塵を拝している。

これはもう何年も前から言われてることで、驚くことではない。(驚くとしたら、韓国人の金持ちぶり。ハーバードの学事は年間500万円以上。アメリカ人の友人は、そんなとこ受かっても行かせられないと言っていた)

この記事はもともと週刊ポストの配信なのだけど、締めくくりはこうだ。

留学生の減少で、日本の大学の存在感も低下している。米国の大学院の博士号取得者の出身大学別ランキング(2008年)では、日本の大学は425位に東京大(23人)が入るだけ。1位の清華大(472人)をはじめ中国の大学がベスト10の3つを占めているのに対し、あまりに情けない。

「存在感の低下」「情けない」か…。
確かに「東大で十分」と言い切れないところは「情けない」。その意味では、国内学位が使い物にならない韓国や中国と同じだ。

蓮舫議員は「一番にならなくていい」とが言った。彼女はお母さんだし、一番になれないと毎日眠れない子や、それを目的化して他人を貶めようという子がいたら、そう言って諭すべきだろう。「人生、一番だけが目標だけじゃないよ」と。
でも、普通は競争でわざわざ2番はめざさない。それよりも問題は、何の分野でトップに成るのか、どうやってトップに成るのか(方法)、だと思う。

近頃、どうも日本が中国や韓国に「負けている」みたいな論調が多いが、それにしても根拠となるのは表層的な順位ばかりだ。そのあげくには「韓国に学べ」みたいな展開もあり、まったくもって、びっくりする。韓国みたいになるのなら、一番なんか目指さない方がいい。世界一の自殺国、華やかさなの影にはとんでもなく残酷なことが起きているのに…。