サヨウナラ韓国

日本から友人が来て、食べ歩きの日々。彼女は長いこと東京で料理教室をやっており、その方面にはうるさい。
昨日、行ったのは「コンブル」という最近急成長の店。コンは今ナムル、プルはプルコギ。大量の豆もやしとサムギョプサルを炒めたもの。一人前5000wは今の韓国では「激安」。これにイカを追加すると、7000wになる。
味は別に普通。
プロであるところの彼女いわく、「まあ家庭料理としてはOK、でも外食にするなら居酒チェーンのツマミかな。韓国はよくこんなメニューでやっていけるね。」と。
まあ、こういうのは流行りものだたから、2〜3年でチェーンを増やして、徐々につぶれていく。だって、目新しいものはないしね。


この彼女、ずっと以前、韓国への移住も考えたことがあった。
「でも、あかんわ、やっぱり住めへん」
理由はいろいろあるのだけど、一つは料理がまずいこと。もう一つはあちこち汚いこと。さらに最近は子供が可愛くなくなった。
「昔はみんな礼儀正しくて、元気よく挨拶しとったのにな」

そうなんだよね。日本人駐在員の人なんかも、「ほかはともかく、挨拶だけは韓国の子供の方がしっかりする」と言っていた。目上の人には礼儀正しい面もあったけどね。

それがもう最近は、ダメだね。
うちの子もダメだけど、韓国の子供ダメダメ。


90年代から韓国にいて、変化を目の当たりにしてきた。2003年ぐらいまでに国はかなりシステム化され、このまま社会は洗練されていくのだと思っていた。
そろそろポストモダンかな?
小倉紀蔵あたりもそんなこと言っていたし、私もかなり期待してきた。

でも、違っていたな。
時代は戻っている。そういうと、左翼のみなさんは李明博のせいにするけど、それはまったく違う。(日本で「今の問題」が自民党時代に端を発していたのとまったく同じことだ。)
金大中時代に、IMFの指導でむりやりやった「近代化」を、私は誤解していたんだ。金大中の政治力の前に、目眩ましにあっていた。盧武鉉時代に感じた逆行は、その表面的な部分が剥がれただけなのかもしれない。

食べ歩きをしながら、友人と韓国への失望を語った。
「もう、ええわ。日韓関係もこのぐらいで」
「そやそや、昔に比べたら、よーなったやん」

たしかにね、1970年代、彼女と私の高校は非常に仲が悪かった。映画「パッチギ」の世界は、日本全国にあった。


「もう、お互いほっといたらいいねん」
「昔やあるまいし、お隣付き合いなんか適当でいいねん」

だよね。ソウルでも東京でも、最近は近所付き合いなんかしないのだし。