太刀川さんと早川さん

軍事政権時代、民青学連事件の関連で逮捕・拘束・懲役20年の判決でていた太刀川さんの件。昨日は共同だけ報道していたが、今日は各社がそろっている。朝日が一番詳しいようだ。

日本人記者、36年ぶり無罪 韓国・朴政権「転覆」事件 - 国際

http://www.asahi.com/international/update/0127/TKY201001270205_01.html

民青学連事件の関連で逮捕された日本人ジャーナリストに36年ぶりの無罪判決。それは当然としても、「早川さん」はどうなったのかな?
当時は「早川さん・太刀川さん事件」と言われていたはず。太刀川さんはその後もジャーナリズムの現場にいたため、ちょくちょく名前は見ていたけど早川さんは?
「連絡がつかなかった」と太刀川さんのコメントが出ている。
う〜ん、ちょっと気になる。
早川さんは、傷が癒えているのだろうか?

それにしても、革命の伝統(儒教でもマルクス主義でも)のある国では、政権がひっくりかえると、その後の名誉回復などの手続きが忙しい。さらに「和解」という作業。

「読売新聞」によれば。太刀川さんは韓国政府相手に損害賠償請求も検討中とある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100127-00001022-yom-soci
現イ・ミョンバク政権だと「訴える相手に不足なし」という感じがあるが、果たして前政権だったらどうだっただろう?
軍事政権時代の「罪」を、その後の革命政権が「償う」というのは、国家の一貫性としては当然だが、対外的にはともかく、国内的にはちょっと不思議な構図になる。

金大中大統領は自分が在職中に自分の事件について真相究明をする立場になったわけだけど、その場合は国家賠償請求の相手は、韓国大統領である自分になってしまった??
革命なき日本国で育った私には大変わかりにくい構図だ。

日本には革命の伝統はないが、権力の交代はあった。
1945年 天皇は最高権力者ではなくなり、米軍政がしかれ、1952年 新しい国体が出現する。
以前は「罪人」であったものが、総理大臣や国会議員になる。
吉田茂共産党のメンバーが共に「戦争中の人権弾圧に対する国家補償を求める」ということがあったら(ありえないが)、アメリカに頼らなくても日本は自ら民主化できただろうか?


最近になって思うのは、かつて自分を「いじめた」相手に、どのように対するかというのは、人間にとってとっても大きなテーマだということだ。
菅家さんの事件もそうだけど、肉体的には「自由」になっても、精神的にはまだまだ苦しみが続く。
加害者も苦しいだろうが、彼ら(検事や刑事、マスコミ関係者)には「仕事に忠実だった」という「言い訳」が想定できる。
しかし、被害者には自分自身を弁護するものは何もない。
「拷問が怖くて、ついウソの自白をしてしまった。自分がもう少し強かったら…」
これは、さらに自分を苦しめる。加害者と被害者は本質的に平等になれないのだ。

だから、加害者と被害者が出るような状況を、出来る限り避けるシステムを作ろうというのは正論だけど、それと同時に過去の罪に対する加害者と被害者の問題をなんとかしなければいけない。

「和解」「報復」「忘却」「昇華」

イニシエーションの方法は、あるにはある。


最近、NHK坂本龍馬を見ているけど、土佐の上士による下士いじめは想像以上だ。でも、あんなにひどかったのに、維新後の報復はあまり聞かない。なるほど、和解と大同団結には対外的な「敵」が有効だったということか。

太刀川さんはジャーナリストであるし、また「仲間」と共同で作業をすすめることも可能だった。
それでも裁判所で決着が出ることは、重要だった。

早川さんはどうしているだろう。