今日の朝鮮日報 「ハーグの火曜集会」

今日の朝鮮日報日本語版で、真っ先に目に入ったのはこの記事。

【コラム】ハーグの「火曜集会」

http://www.chosunonline.com/news/20100121000062

テーマが「従軍慰安婦」に関することとあって、アクセス数も非常に多くなっている。
日本でも韓国でも、この問題は「踏み絵」的な役割を果たしてきた。両国とも議論は感情的で、それによって韓国では「親日派」という「いいがかり」を、日本では「反日分子」という「罵倒」を浴びせられた人も少なくない。

日本では「日本軍が組織した従軍慰安婦などはいない」という「右派」の立場から、「日本政府は公式な謝罪と国家補償をするべき」という「左派」まで、多様な意見が対立している。

一方、韓国は、「一枚岩じゃないの?」
日本ではそう思っている人も多いが、実際はそんなことはない。たとえば、西大門の独立公園内に従軍慰安婦記念館を建設する計画をめぐって女性団体と右派系の民族団体は真っ向から対立した。右派の主張は、独立運動を戦った人と、慰安婦はまったく立場が違うという。「むしろ日本軍に協力した」という認識も出てきてしまう。これは前回ふれた日本兵として従軍した人々に関しても同じだ。

このタイプの論議は、理論的な是非よりも、その論議そのものが当事者や遺族をどれだけでも傷つける。

従軍慰安婦問題をめぐっては、日韓両国とも国内に激しい意見対立があるが、個人(や一族)の存在を脅かし、心をえぐるような苦悩は、日本にはないと思う。強制的、あるいは仕方なく、あるいはすすんで日本に協力してしてしまった過去。それは個人とし、また国家としての経験である。
そんな重層的な苦悩を理解しないと、韓国人の「反日行動」も理解できない。


 ところで、オランダの問題だ。
 最近でこそ、「反日感情」といえば、韓国と中国と結びつくが、戦後すぐ、少なくとも70年代までは欧米や東南アジアがその主役だった。なかでもオランダとその植民地だったインドネシアは双方ともに、反日か感情が強く、皇室の親善外交などでも非常に苦労している。
 オランダの反日感情の直接的な原因は、日本軍によるオランダ人捕虜の虐待であり、強制収容所での酷使だった。その中に「従軍慰安婦問題」があることが顕在化してきたのは1990年になってからだ。

wikiには以下のような記述がある。

1994年のオランダ政府の報告書では、インドネシア各地の慰安所で働いていた200〜300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に(most certainly)強制売春の犠牲者だったとされている。[4] 1990年に対日道義的債務基金(JES)が結成され、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動が始まった。これに対し日本政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施し、2001年オランダ人女性に対する「償い事業」を「終了」した。


 オランダは、フィリピンとともにアジア女性基金による「償い」が「成功した」とされているが、その後のことについて基金の報告にはあまり語られていない。この「朝鮮日報」のコラムを読む限りでは、韓国や台湾と同じく、今も「正式な謝罪と賠償」が求められているようだ。 

 以前、従軍慰安婦問題にしろ何にしろ、韓国の民族運動は偏狭で、非常に閉鎖的というイメージがあった。でも、最近は世界との連帯が感じられるシーンが多くなっている。初期のナショナリズムの問題は、克服されつつあるのかもしれない。


以下、引用。



 旧日本軍の慰安婦となった韓国人女性たちが、ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行ってきた「旧日本軍の慰安婦問題の解決を求める定期水曜集会」が、今月13日で900回目を迎えたが、オランダでもこれと似たような集会がある。「対日道義的債務基金」(JES)が、毎月第2火曜日の正午から、ハーグの日本大使館前で行っている「火曜集会」だ。同集会の参加者たちの主張は、韓国の「水曜集会」とほとんど似ている。第2次大戦当時の日本軍の侵攻によって命を落としたり、被害を受けたりした人たちに対し、日本政府の正式な謝罪や賠償を求めるというものだ。二つの集会が始まったのも、同じ1992年のことだ。


 集会を主催しているJESのワッフタンドン会長は42年、オランダの植民地だったインドネシアが日本軍に占領された際、祖父と父親を失った。日本はインドネシアを占領した後、ワッフタンドン会長をはじめとする現地在住のオランダ人30万人を収容所へ送り込み、このうち10−20代の女性たちを慰安婦にした。西洋人としては初めて、自分が日本軍の慰安婦だった事実を明らかにしたヤン・ラフ・オヘルンさんをはじめ、オランダ人の元慰安婦は約300人いる。


 ハーグの「火曜集会」では毎回、ワッフタンドン会長の名で英文の嘆願書を作成し、現地の日本大使館に届けている。昨年11月に作成された、「His Excellency Yukio Hatoyama.(鳩山由紀夫首相閣下)」と題する嘆願書は、「世界の指導者たちは、過去の日本政府の思考から抜け出そうというあなたの努力を歓迎している」という温厚な文章から始まっている。その上で、ワッフタンドン会長は、「第2次大戦の終結から65周年を迎える今年8月15日を、“日本が過去の過ちを正す日”としたい」と提案し、「新たな日本の国際的なイメージは、あなたの手にかかっている」と、鳩山首相の決断を促した。A4サイズの紙1枚に綴られた嘆願書には、「180」という数字が記されている。180回目の嘆願書を発表した、という意味だ。JESのウェブサイトには、ワッフタンドン会長がこれまでに発表してきた英文の嘆願書がすべて掲載されている。


金基哲(キム・ギチョル)記者(文化部次長待遇)



【コラム】ハーグの「火曜集会」(下)
慰安婦

 JESが発表した嘆願書は、オランダの日本大使館だけでなく、同国の首相や国会、さらには国連人権委員会欧州議会の議長、米国の大統領などにも毎回発送されてきた。嘆願書を作成し、それを世界の指導者たちに送付したことを記録し、少しずつ日本に対して圧力をかけよう、という戦略だ。2007年には米国、カナダ、オランダの国会や欧州議会が、日本の謝罪や補償を求める「慰安婦決議案」を採択したが、その過程では、ワッフタンドン会長率いるJESが果たした役割が大きい。


 歴史を語る資格は、記憶する者だけにある。そして、その記憶を世界の人々と共有することは非常に大事なことだ。旧日本軍の慰安婦問題がそうであり、またフランスが1866年の丙寅洋擾(朝鮮王朝のキリスト教弾圧にフランス軍が報復した事件)の際、外奎章閣(奎章閣〈歴代国王に関する文書を保管した役所〉の附属図書館)の蔵書を持ち去った問題も同様だ。韓国人同士でいくら声高に叫んでも、ただ自己満足とやるせなさが残るだけだ。オランダのJESのように、フランスがミッテラン元大統領による、外奎章閣の蔵書を返還するという約束を履行するよう求める文書を、回数を記した上でサルコジ仏大統領や国連教育科学文化機関(UNESCO)、欧州連合EU)などの国際機関に送付してはどうだろうか。外奎章閣の蔵書を奪われた事実を、韓国人は忘れていないということを伝えることで、フランスに道義的な責任を自覚させることができ、また回数を記すことによって、重い腰を上げさせることができるかもしれない。冷静かつ冷徹に記録を残すことで、変化をもたらすことができるかもしれない。


金基哲(キム・ギチョル)記者(文化部次長待遇