プレモダンとポストモダンンはざまで

これは「古典」だなと思った。
古田博司著『悲しみに笑う韓国人』(1999年ちくま文庫)。
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%AB%E7%AC%91%E3%81%86%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BA%BA-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%A4%E7%94%B0-%E5%8D%9A%E5%8F%B8/dp/4480034560/ref=sr_1_8?ie=UTF8&s=books&qid=1245644053&sr=1-8
文庫本の出版年度は10年前だけど、1980年代に書かれた2冊の原本『悲しさに笑う韓国人』(1986年)『ソウルの儒者たち』(1988年)がもとになっている。1980年代初頭に韓国で暮らした著者が、自らの体験(=驚き)を理論化した。

先日、日本から送られてきたこの本を、読み始めてすぐ盧武鉉大統領が亡くなった。その後、壮大な国民葬が行われるまでの追悼の1週間、この本をゆっくり読んでいた。目の前で起きている不可思議な現象。この本はそれを丁寧に解説してくれている。
 なんと20年間、何も変わっていない。
 驚くことはない、500年間変わらなかったのだから。

 「不可思議な現象」ーー理解不能なことは一つや二つではなかった。
・家族がお金をもらっていた。それを前大統領が知らなかった。
・罪は家族にあるにもかかわらず、検察は前大統領を召喚。「包括的収賄罪」。でも具体性はなし。
・家族が犯した罪で、元大統領への国民的批判が高まる。
・自殺
・世論は一転、前大統領の名誉は回復。
・非難の的だった家族も一転、同情の対象に。
・関連捜査も打ち切り。

 『悲しみに笑う韓国人』を読んで、改めて思ったのは、韓国には「近代」(モダン)はなかったということ。「プレモダン」と「ポストモダン」の未分化(に見える)状態は、それが直接的に移行(一部で共存)しているからだ。日本だって西洋じゃないから、もともとは同じだった。ただ、不完全な近代の呪縛にとらわれたまま、さらに硬直していく日本とは、居直っている感の強い韓国はますます離れていくような気がする。
 つまり、近代的な尺度に万能感をもっている私たちには、「韓国」がわからない

 もっとも、韓国にも近代主義者はいる。亡くなった盧武鉉大統領もその一人で、彼は①南北統一という「近代的民族国家の完成」と、②貧富の差が少ない「社会民主主義的な国家」を目指していた。そのために北朝鮮との協調路線、国内的にも政府主導のさまざまな改革を行おうとしたのだが、なかなかうまく行かなかった。

 「保守派の巻き返し」というような政治路線の対立もあったが、でも、彼は敵の攻撃には決して屈しない、かなり粘り強いタイプの政治家だった。それよりも、彼を予想以上にてこずらせたのは国内の反近代主義、そして北朝鮮のそれだったのだと思う。

 『悲しみに笑う韓国人』には、李朝時代の「階級」について言及した部分がある。
「(李朝時代の)階級は音楽の五線譜のように層をなして固定はされているが、人々は音符のおたまじゃくしのように、上下に動いていたのだ」 
 著者はそれが現在もまったく変わらないと書いているけど、本当にそうだなあと思う。いつ落ちるかわからないから、上のほうにいるうちに、すばやく親族や知り合いのことも全部やろうとする。 お金やら、子供の就職やら、文化活動やら。特に大統領の再選を禁止した韓国では、5年ごとに音符が大きく上下する。流動性の激しい国は、落ち着かないし、時にいやしくも見える。

 盧武鉉大統領の社会民主主義的は、そういう「前近代的な悪習」を真っ向から否定しすることにあった。国家は社会的平等を実現するために存在すべき。もちろん、指導者たるものも清廉潔白であるべしと。
 ところが、そんな大統領の志の高さを知ってか知らずか、盧武鉉家の親戚一同は大統領当選が決まるや、大挙して上京し「親戚活動」を開始した。実兄、妻の親族…。側近人士にしても同じだった。彼らの進歩的な政治志向とは関係なく、親族・知人は旧来と同じ行動をとった。

 これはつらかったと思う。
 「私はそういうことはしないのですよ」
 盧武鉉大統領はさまざまな便宜を必死で断ったと思う。そして、盧武鉉流の再分配を進めた。税の徴収を強化し、福祉予算を増やす。つまり、金持ちの金を貧乏人に回す。それを租税をもって、合理的に行う。これもまた、悪評だった。
 李朝時代の人々は、自分で下々にふるまいたいのだ。カネ(税金)を強制的にとられた上に、批判(脱税キャンペーン)までされたらたまらないのだ。
 ぶっちゃけた話、彼は「金持ち」をおだてるべきだった。高額納税者に勲章をあたえ、金持ちであることをほめればよかったのだ。それを古典的マルクス主義者のように、「ブルジョア階級は敵」みたいなムードを作ったために、いきおい「金持ち」(将来的願望を入れれば、かなりの多数派)から嫌われることになった、
 『悲しみに笑う韓国人』では李朝時代の「分配」にふれてある。
 「田舎の両班の富豪というのは、食を求めて来るものを拒むことはできない」「富者は貧者の存在ゆえに富者であり、こうした階級感を前提とした上の富者であり、貧者もそれを一つの当然の報酬と心得ている」「この風習は今も色濃く残っており、筆者はこのような光景を数知れず見た」 

 李明博政権に代わってから、盧武鉉大統領系の人士が、さまざまな操作対象となった。
国家のお金を不正に受給していたのではないか? 私の周りでも、芸術関係者などがその「不正」を追及された。彼らは少しずつばらまいていたのだ。「まともな韓国人」は、自分だけポケットに入れるようなことはしない。(でも、まったく平等に分けられるものでもないが…)。
 国家の機能の一つは、「富の再配分」である。盧武鉉大統領の周りでは、そんな李朝伝統の再分配と、彼が理想とする近代主義社会民主主義)の分配方法がぶつかった。もちろん、私たちには近代的分配法の方がなじむ。とはいえ、韓国がここまで(世界でも上位の経済強国)になったのをみれば、彼らの李朝時代風分配法もそれなりに効率がいいのだろう。
(北の殿様は独り占めだから、国が発展しない。)
 
 ところで、任期中は人気のなかった盧武鉉大統領だが、国民葬までの1週間は韓国全土が悲しみにしずんだ。「検察や李明博政権が彼を死に追いやった」と、追悼を政権批判の場にする人の声が大きくて、かなり政治的にも見えたが、実際はそうじゃない人もたくさんいた。
 「大統領が亡くなって、ただ、ただ、悲しかったから」
 そう、これが愛すべき韓国人だ。 昨日まであんなに悪口を言っていたのに、今はこんなに悲しんでいる。
「どうして?」と追悼会場の横で乗ったタクシーの運転手に聞いてみた。
「韓国人は’情が多い’から」
まさに。
 韓国人の「情」(ジョン)とは、実は「情」(なさけ)ではない。「喜び・怒り・哀しみ・(懼れ)・愛み・悪しみ・欲ばり」といった人間の原初的な感情をさす。(『悲しみに〜』p190) 

 ずっと以前、日本の故郷に住む知り合いの男性が急死した。彼は大の韓国好きで、韓国には愛人とともに、男性の友達もいっぱいいた。死亡の翌々日、お葬式には韓国からたくさんの友人たちが駆けつけた。急なことで、国内でも移動が大変なのに、海外から。しかも当時、韓国人は日本に行くのにビザが必要だったのにもかかわらずだ。
「しかもみんな、悲しそうに泣くんだよ。おかげで、こっちまで泣けてきた」
葬式に参加した私の父が言っていた。
 日本の報道などでは、盧武鉉大統領の追悼に集まった人々がすべて反李明博であるような印象を受ける。
 でも、それは違う。多くの人々は、ただ、ただ、悲しかったのだ。

 そのほかにも、『悲しみに笑う韓国人』には、いろいろ重要なことが詰まっている。たとえば、ここでは「民族性」という言葉を避けられている。「民族」は(「国家」とともに)比較的新しい概念であり、「民族性」は時代によって「可変」であるから。そこで「歴史的個性」という言葉が用いられている。

 ところで、この文章の本題はプレモダンとポストモダンということになっている。プレモダンに関しては、『悲しみに笑う韓国人』から引用しつつ、感想のようなものを書いたが、じゃあポストモダンは?
 もっとも、感じるのは韓国の人々は、国家への帰属意識がないこと。下手したら民族意識も危うい。あるのは宗族・家族意識だけ。あと、「知り合い」(←これはポストモダンだ)。
 ポストモダンなのは、韓国を取り巻く「世界」だ。その同時代性と、李朝時代の思考のミックスが、かなり絶妙になっている。もちろん、グローバル化というキーも重要だろう。ということで、続きはまた、後ほど。