テレビと不動産

アメリカで地上デジタル放送が始まったという。
「本当に映らない!」
急いで、コンバータを買いに走る人々の様子を、韓国のニュースで見た。
「韓国の場合も同じく、国民の側にまったく準備ない」
アナウンサーは言うけど、う〜ん、そうかな。

うちのアパートでは、各お宅を順番にお邪魔して親睦会が開かれれるのだけど、デジタル対応のテレビをもっていないのは、我が家だけだった。(もっとも、エアコンがないのも、自家用車がないのもうちだけなのですが…)。
韓国では2013年がデジタル化の年となっている。
私からみれば、国民の側は早々と準備をしているのだが、肝心の政府と放送局の方が、まったく前に進めなくなっている感が強い。

昨日、チビの友達の家に遊びに行ったら、そこにも最新型テレビが導入されていた。
「韓国の人はテレビと車にこだわりますよね。私なんか、見れればいい、乗れればいいと思うのだけど」
結婚6年の日本人妻は言うけど、さて、それは「国民性」の差なのか、男女の差なのか。

ところでそのテレビを見ながら、あれ? と思った。
画面が小さい。
テレビは42インチ、でも映っている部分が小さいのだ。
「全画面にすると大きすぎるから、わざと小さくしてあるのです。部屋が狭いから、大きい画面は見にくい」
へえ〜と驚く私に、彼女は言葉を続ける。
「夫は、そのうちに成功して、大きなうちに引っ越すからって。テレビだけは大きいのを買ったのです。」

あーそうなのか。
そういえば、うちのアパートでも、みんな部屋に不似合いなど大きなテレビが置かれていた。テレビだけじゃない。エアコンも冷蔵庫も異常に大きかった。
「将来はもっと大きな家に移るから」
なんと、お父さんの夢があったのだ。

日本でも「家を買う」というのは、「お父さんの悲願」だろう。私の父も私が中学生になるときに家を買ったので、その興奮は覚えている。
おそらく生涯で一度の、大きな買い物だろう。

ところが韓国では、家を買うことは、「初めの1軒」に過ぎない。17坪、24坪、32坪、42坪、そして72坪。マンションを買い替え、買い替え上り詰めていく。
アメリカなどもステイタスの上昇によって居住地を移すという。「アメリカで7回も階引っ越をしたというのは、成功を自慢しているのだ」とどこかで読んだことがある。
韓国では引越しの回数は自慢にはならないが、今住んでいるアパートの広さはまったくの自慢(羨望の的)になる。

「不動産階級社会」という本がある。
著者のソン・ナック氏によれば、韓国は不動産(住居)によって6階級に分かれているという。第1階級は自宅以外にも複数の不動産を所有するもの、第6階級は地下室や屋上などの、無許可住宅で暮らすもの。
以前、地下室に住む独居老人の問題で、この本が紹介されていて購入した。

著者は労働運動出身者だが、最近は韓国社会の矛盾を「不動産にある」として、その方面でも活動をしている。
日本語でヒットしたのはこれ。
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/issue/poverty/1233336654425Staff
ちょっと翻訳が読みにくいが。ちなみにここでは「不動産五敵」と訳されているのは、「不動産五賊」の間違いだと思う。
(ここらへんの同音異義語は韓国に長くかかわっても難しい。)

私も彼の主張はまったくその通りだと思うけど、それが実行できるかといえば、さて、どうだろう。前政権もこれで大失敗した。(盧武鉉大統領が唯一、失敗と認めた部分である。盧武鉉支持勢力の多くは米韓FTA締結も失敗というが)。
もちろん建設資本やブローカーの問題もある。
でも、故盧武鉉前大統領や、ソン・ナック氏が考える以上に、国民の欲望が強いのだ。「もう少し大きい家へ」というエンドレスの悲願が、ものすごく人々を縛っている。
その欲望におされて、不動産そのものも、決して上昇をやめない。韓国人がいう「不動産神話」。

「日本もバブルの頃。そうだったでしょう?」
よく聞かれる。
私は当時は日本にいたので両方を知っているけど、まったく比較になりません。