林采珍検察総長の辞表、金芝河の盧武鉉批判

 盧武鉉大統領を自殺に追い込んだ張本人として批判を浴びている林采珍検察総長が、6月3日、2度目に辞表を提出した。
 一度目は先月23日、自殺がわかった直後だった。「怖くなったんだろうな。それで敵前逃か…」と思ったのだが、辞表は受理されず、今回2日目の提出となった。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116184&servcode=400§code=400

 それにしても理由が…。
 「国民を悲しませた」(!?)


 前回の辞表が受理されなかったのは、「事態の収拾と事件捜査の締めくくりが先」(法務部長官)とされたから。当然だと思う。自らが召喚して引き起こした「事件」。法にもとずいて行ったというのなら、法にもとずいた結果を出すべきだろう。 それなのに…。

 「最善を尽くしたが、想像もできなかった事故で多くの国民を悲しませた。捜査を総指揮した検察総長として心より国民に謝罪する」

 大統領や政治家、あるいは学校の先生なら、それもいい。「道義的責任」というのはあるだろう。でも、「検察」だ。法治制度の頂点に立つ人なら、法律的な問題解決にこだわるべきではないのか。
 
 「ただの支援であって、賄賂ではなかった」。あるいは「賄賂であった可能性が高い」。結論に近づく努力はしないのか。
 盧武鉉大統領自身は、「ただの支援」さえも許せなかったのかもしれない。でも、これが収賄ということになると、韓国の風土では金持ち出身でない政治家はほとんど活動ができなくなる。
 
 でも、検察も市民側も情に流されてしまって、法解釈に関しては、「どっちでもいい」状態になっている。 もっとも法律的に詰めたところで、「大統領特赦」なる伝家の宝刀で、一気に無罪放免になってしまうのだけど…。

 「近代主義」に脅迫されながら日本で育った私には、韓国の「情緒主義」は、何年暮らしても理解できない。(もっとも、「足利事件」をみると、日本の「近代主義」も怖いなあと思う。法律家に任せるのではなく、韓国のように市民が大声を出せる場所も必要だと思う)。

 ところで、私が個人的に関心のあった人の発言が新聞に載っていた。

 盧前大統領死去:金芝河氏、大統領の自殺を批判

http://www.chosunonline.com/news/20090604000062

「大統領は民族を代表する権威であり、人々の生き方や倫理的な人生観を映す鏡であると同時に、これらについて責任を持つべき存在だ。特にあの方(盧前大統領)は若者たちに影響力を与えるために苦心し、“ノサモ盧武鉉を愛する会)”に向けてインターネットで情報を発信し続けてきた。そんな方が自殺するなんて…」。

後追い自殺のような事態は絶対に起こってはならない。あのような死に方を良しとする伝統は、わが民族にはない」。

 90年代前半に、反政府運動をする若者の抗議自殺が続き、そのときもキム・ジハはこのような発言をしていた。だから、今回はなんというのだろうと気になっていた。もっとも、今の韓国にキム・ジハの意見に耳を傾ける人がいるかどうか…。

だって、ロウソクデモに対して、こんなこと言ってるのだもの…。

「ろうそくはおばあさんたちがお祈りをするときに使うものだ。(これをデモに使うというのは)宇宙の文明史の大転換だ」