格差と貧困

格差はともかく、貧困は問題だ。

娘が赤ちゃんの時のベビーシッターさん(65)、娘はベビーでなくなったが、二人は仲良しなので、今も週一で来てもらっている。
彼女は一人親家庭で、ずっと家政婦さんをやりながら一人娘を育てあげた。いわゆる苦労人だが、彼女の年齢の韓国女性は、苦労(その中心は貧困)を経験してない人のほうが少数だ。
朝鮮戦争が終わったのは1953年、日本の終戦の8年後だけど、復興は日本よりも時間がかかった。30代の韓流スターなどでも、「リンゴが買ってもらえないほどの貧しさ」を経験している人がいる。

ところで、そのベビーシッターさんが、このところずっとまともな食事をしていないという。理由は稼ぎがないから。
彼女は週に二日、うちともう一軒で家事などを手伝い、月に3万円ほどの収入を得ている。それに月8000円ほどの年金。家賃はかからず、暖房もいれずに我慢。洋服だって、もらいものしか着ない。なけなしのお金をさらに節約している。

そうしてクリスマスやお正月に、二人の孫にプレゼントをする。DSソフトや現金。もう高校生なので、今回は1万円ずつあげたという。さらに、下の孫にはこのたび入学祝に3万円も。

「お肉が食べたくてね。ずっと我慢していたんだ。娘にちらっと言ったら、食べにつれて行ってくれた。おいしかったねえ。二人分も食べたら、胃がびっくりしたのか、その後2日間、何も食べられなかった」

娘さんは夫が成功して、今は社長夫人だ。不動産をいくつも所有し、息子の高校のPTA理事もやっている。孫たちも小さい頃から家庭教師つき。とても裕福に暮らしているのだけど。

なのに、おばあちゃんは肉が食べたくても我慢している。
昨日はうちの冷蔵庫を掃除してくれながら、長いあいだ放置されている食材について聞いてきた。
「捨てようと思っていたのです」
「じゃあ貰っていいか、まだ食べられそうだ」
娘さんは知っているのだろうか。自分のお母さんがこんなに節約しているのを。
私はそれじゃなくて、他のものをあげた。乾燥野菜など、撮影に使って、そのまま食べてないものがうちにはたくさんある。

彼女はたいそう喜んだ。実は明日、友達が遊びに来るのだという。
「仁川からわざわざ来てくれる、バス代も高いからずっと来られなかったのだけど」
バス代って、往復で500円ぐらいだ。でも、そのお友達にはそれが高いらしい。
「仕事は廃品回収。まる一日、ダンボールを集めて回って、300円ぐらいがやっとだという。
しかも、最近は不景気で紙代が値下がり、また若い人や主婦もダンボールや鉄くず集めをするために、老人たちの仕事は奪われている。

なんかなあ…。
肉が食べられない、友達に会いに行くバス代がない。
これは格差ではない、貧困の問題だ。

その翌日、娘の友達の誕生日パーティーに行った。
狎鴎亭の子供用レストラン。アトラクション付の派手なスポットだ。この時とばかりか日常的にか知らないが、ブランド品をまとった子供たち。
中には運転手付の黒塗りで乗り付けている人々も。
話の内容は、春休みの海外旅行。うちも日本に行くから、一応それを伝えて、後は話を聞いていた。
ぜいたくだなあ。ぜいたくだ。これでいいのかなあ。

どこの国にも格差はある。ヨーロッパや日本には越えられない階層(貴族とか皇族とか華族)もある。
韓国にはそういうものがない。
だから、「お金」のみが格差の基準となる。したがって、誰にでもチャンスは開かれている。だから、みんながガツガツする。
そうして「勝者」となったら、それを誇示するのに消費でしか表す方法を知らない。どれだけ贅沢に消費するか。逆に「敗者」には、いきなり「貧困」がのしかかる。
一つのゴールをめざすバトルロイヤル。
なんと凄惨な…。

アメリカ型といえばそうだが、韓国は人種・移民の時期の差などがいだけに、よけいにバトルは激烈だ。
アメリカといえば、こんな記事も)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090226-00000072-jij-int

ここでどうやって暮らすか。子供に何を見せるのか?
イヤだな。
友人夫婦は、子供の持たない決意をしたという。
「ここでは子供は育てられない」
いや、そんなことはない。でも、その気持ちもわかる。