韓国でする1人グルメ その20「中国苑」

ない、ない、なーい、どこ探してもない。メガネじゃない、リモコンじゃない。ないのは、いつも行っていたあの店。韓国で暮らす我々やリピーターの皆さんにとって、もっともショックなことの一つは大好きな店が姿を消すことだ。それは時になんの前触れもなく、忽然と姿を消す。「あれ、ここじゃなかったのかな?」「道を間違えたかと思って、周辺を探しまわった」なんて話も、リピーターの方からよく聞く。しかし、今回は探すような店じゃない。

店は「中国苑」、中華料理レストランだ。場所は華僑の居住区で知られる西大門区延禧洞で、初めて行ったのは24年前の1990年10月。そこからほど近い延世大学というところで、韓国語を習い始めたばかりの頃だった。

連れて行ってくれたのは同じ留学生仲間の米国人デビッド、鄭大為という中国名までもつ中国フリークだった。彼は北京語、台湾語、広東語などたくさんの種類の中国語を話し、さらに韓国語と日本語を学ぼうと、両国を行き来しながら勉強していた。いわゆる語学オタクのような人で、後にタイとベトナムを行き来して、そっちの言葉も勉強していた。

「韓国の中国料理はここが一番おいしいよ」
彼の日本語はまだまだだったが、中国語は上手だった。
「彼は中国人よりもきれいな普通語を話す」とかで、いつも「中国苑」の奥さんがびっくりしていた。彼女は華僑2世で、中国語は山東省の方言、韓国語も華僑独特のアクセントがあった。

デビットは完全な「孤独のグルメ派」だった。本人もそれを自称しており、「1人で食事がしやすいこと」が彼をアジアに定着させた理由の一つでもあった。
「日本や台湾、あとタイやベトナムも1人で食べるところがいっぱいあって便利。でも、韓国は少し難しいよ」
当時、韓国人でさえ1人で外食することはとても珍しかったし、ましてやデビッドは190センチを超える巨漢の白人だった。

「私が食べていると、みんなが集まってきます。箸を使うと、おおー!と、みんなびっくりする」
そんなデビッドが安心して通える店、それが「中国苑」だった。その他にも中華料理店はあったのだが、多くが韓国風・出前中心の店で、メニューも炸醤麺・チャンポンなどに限定されていた。「中国苑」は界隈で唯一の本格的中華レストランだった。

韓国で華僑経営の本格的レストランがあまり発展しなかった背景には、韓国政府の長年にわたる「華僑政策」がある。「外国人土地法」に代表される一連の締め付けは、最盛期に10万人もいた在韓華僑を、80年代には1万8000人にまで減少させた。その後、中韓関係の強まりなどにより、中国人観光客が増加。韓国政府の縛りもなくなり、華僑が自由にビジネスができるようになった。「中国苑」も「北京」という観光レストランを併設、観光バスが止まるような大きな店になった。

観光客用は盛況だったが、地元客用はいつも常連しかいなかった。家族や友達と一緒に行くこともあったが、たまには1人で行って店の人と話しながらチャンポンなどを食べるのが、私の密かな楽しみだった。2世の奥さんはおばあちゃんになり、3世の息子さんが後を継いだ。彼は台湾に留学もしており、中国語の発音も韓国語の発音も完璧だった。デビッドが聞いたら目をくりくりさせて、驚くだろうなと思った。「息子さんはいいよ」とか言っちゃって。

その「中国苑」が消えてしまった。単なるリモデリングならいいのだけれど…。しばらくしたらまた行ってみようと思う。