珍島沖の旅客船沈没事故、韓国社会の闇

 韓国珍島沖の旅客船沈没事故から6日間が経過。韓国の主要放送局は連日特別枠で、事故関係の報道を続けている。現場の作業の進行は非常に遅く、いい話がほとんどないため、番組の多くは「バッシング」と「美談」などが重複して流されているだけだ。行方不明者の家族などはマスコミ不信が強いのか、インタビューにあまり応じないよう。なので、すごい数の取材陣が現地に入っているわりには、届けられる情報は少ない。

事故直後の大誤報
 マスコミ不信の最大原因は4月16の事故発生直後に「高校生全員救出」の報道が流れたことだろう。私自身もテレビで「タンウォン高校の生徒、全員救助」という緊急速報を見た。「それは、よかった」と思って外出し、お昼に戻ってきたらテレビ画面の安全行政部発表の数字が変わっていた。行方不明者290名。そのほとんどが高校生だった。
 テレビではヘリコプターで救出された高校生がずぶぬれでインタビューに答えていた。「部屋で待機するように言われ、それに従った。その後に海に飛び込めと言われたときには、船がもうかなり傾いていた」
 Kbsはこのインタビューを繰り返し流していた、おそらく、他の生徒からのインタビューはとれなかったのだろう。ただ、この証言だけで十分だった。「船室内で待機しろ」という放送が何度も流れ、生徒たちは船が傾いても指示通り船室にいたのだ。
 
犠牲となった高校生、救助された船長
今回の事故の最大過失はこの「船室での待機指示」だった。救助が始まった直後には「避難に混乱はなく、みな落ち着いていた」という報道もあった。私は「韓国人らしくないな」と思ったのだが、今から思えば救助船が近づいた時には、もう部屋から出られなくなっていたのだ。
「船が傾いたら、船室から外に出ろ。いよいよ沈み始めたら風上に向かって飛び込め」
事故から数日後に経済番組のアンカーが、堪え切れないといった表情で語った。ふだん株価の動向しか言わない彼が異例だった。この証券アナリストは若い頃船に乗っていたという。彼だけでなく、みんなが怒っていた。素直に大人の指示に従った高校生がどうしてこんな目にあうのか。
自分で行動した一般客の救助率は高かった。さらに国民を怒り心頭にしたのは、船長がもっとも早い段階で救助されていたことだ。船長だけじゃない。機関士や操舵手など運行にかかわる乗組員は全員が、船室に乗客を残したまま無事に救助されていた。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/17/2014041701215.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

真っ先に逃げた船長は濡れたお札を乾かしていた
 「船長が真っ先に救助された」という報道は内外に衝撃を与えた。「船長は船と運命を共にするんじゃないのか」。ネット上ではすぐに船長を非難する書き込みであふれ、主要新聞の社説も船長非難一色となった。
 乗務員の過失が事故の拡大を招いた事例としては、2003年に大邱で起きた「地下鉄放火事件」が思い出される。あの時も、当初は放火した犯人と火災が発生した駅に突入した対向車の運転手がやり玉に上げられた。しかし、その後に指令センターのミスなど地下鉄の安全管理体制そのものに問題があることが明らかになった。今回、韓国警察が早期に乗務員の拘束措置をとったのは、関係者が「口裏を合わせないようにするため」だという。
 韓国ではサンプン百貨店崩壊、聖水大橋崩落などをはじめ、大規模な災害のほとんどが「完全な人災」である。その中でも、今回の事故は大邱の地下鉄放火事件と重なることが多い。閉じ込められた船内(車内)からスマホ(携帯電話)による交信があったことも、多くの韓国人にあの時の恐怖と悲しみを思い出させた。
 ただ、その大邱の地下鉄火災事故以上に、今回の船長はひどかった。救援された船長の画像は、30年ほど前に「逆噴射」で羽田沖に突っ込んだ日航機の機長を彷彿とさせ、ひょっとしたらこの船長も精神疾患があるのかもしれないとも思った。ところが、この船長は収容された病院のベッドでお札を乾かしていたという。ものすごく「普通の精神」。68歳の初老の男性が、ポケットから濡れたお札を出して乾かしている姿を想像した。そんな普通の男が、たくさんの生徒の命が奪った。
 
慶尚道全羅道か」
 そこで、船長の経歴を調べようと韓国のサイトで検索したところ、思わぬ「論争」がおきていた。
「この船長は全羅道の人間だ」「いや釜山出身だ」。韓国では長年の地域対立がある。なかでも一部地域に関しては、まるで日本の「在日認定」と同じようなメンタル。なんだか嫌なところはそっくりだ。
 http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/17200.html
船長はすでに拘束されており、日本だと本人の経歴なども報道されるのだろうが、韓国では容疑者段階だと顔写真も出てこない。テレビなどは本名も伏せられることが多い。一方で、事故当時、この船を動かしていたのは、25歳の3等航海士、入社4か月目の女性だったという。
アシアナ航空の墜落事故を思い出した。あの時も機長ではなく副操縦士が着陸の操縦かんを握っていた。今回は25歳の新人女性という。韓国をよく知る者なら誰でもわかる。この女性航海士はどんな不条理なことがあっても68歳の船長の言うことをきくしかない。この三等航海士と亡くなった22歳の客室係、年若くさらに女性であった二人は、乗務員の中でも「最下層の身分」だったのだと思う。

まさに韓国的な事故、嘆く韓国メディア
 この事故の報道を見ながら、「まさに韓国的な事故」と多くの人が思った。韓国人自身も思ったし、在韓日本人も思った。韓国で最大部数を発行する朝鮮日報のタイトルを見るだけでもそれはわかる。
「責任持つべき人間が真っ先に逃げ出す国」(朝鮮日報コラム)「基本を無視する韓国社会、繰り返される人災」(朝鮮日報社説)「韓国社会にごまんといる「セウォル号の船長」」(朝鮮日報コラム)
「プロ意識の欠落」「マニュアル無視」「金儲け主義」「嘘」。当初は船長の人格を問題にする発言も多かったが、しだいにその他の問題も明らかになっていった。中央日報のコラムはそんな自国を「三流国家」と嘆いたが、その「嘆き」もまた「韓国的」だった。韓国のメディアはその国民と同じくとても情緒的だ。あまりにも大きな事故や事件が起こると、正確な情報や理性的な意見よりも、悲しみが前面にでる。新聞が声をあげて嘆き悲しむのである。
 韓国人にとって、今回の事故は「まさに韓国的」なのだろうが、私にとっての既視感はそれだけでなかった。
潜水隊員が突入しようとしても、水中にいられる時間は短く、なかなか内部に到達できない。焦燥感。テレビは日本の専門家のインタビューなども報道され、一瞬「やはり日本はすごい」という気持ちにもなる。その一方で遅々として進まぬ現場と、乱れる報道を見ていると、原発の上空でバケツをひっくり返して放水した、あの日の情景を思い出す。

韓国独自の問題と普遍的な問題
大型事故にはその国独自の問題とは別に、どの国にも共通する普遍的な問題がある。たとえば、この船舶会社は財政状況が非常に悪かったという。日本でも鉄道やバスの事故が起きる時は、たいていその会社の経営状態に問題がある。いまだ行方不明のままのマレーシア航空も経営難にあった。
 財政状況が悪いと、当然のように安全面で問題が出る。事故を起こした船舶も日本から購入した時より韓国で巨大化(定員は804人から921人に増加)されていたという。そういえば、日本のネット上では「船が日本製だったことで、韓国人はきっと日本のせいにする」と盛り上がっている人々がいたが、それはあまりにも自信過剰だ。「韓国経済は崩壊し金を無心に来るだろう」というのも同じだが、心配も過ぎると妄想とよばれる。ちなみに、今回の件で韓国人は何一つ日本のせいにはしていない。それどころか、メディアでは久しぶりに「日本にはやはりかなわぬ」という声も聞こえてくる。この間の自信満々の韓国は、今、猛烈な反省と落ち込みの中にいる。
 財政状況の悪い会社でおろそかになるのは設備投資、一生懸命されるのは人件費の削減だ。恐ろしくプロ意識が欠如した船長や乗組員は、何百名の命を預かるにふさわし人ではなかった。会社はどうしてそんな無責任な人間を雇用していたのか。

船長は非正規雇用、月給は270万w(27万円)
 会社側の「過失」は徐々に明らかになっている。なかでも世間を驚かしたのは、船長が月給270万wの契約社員であったことだ。その他の航海士、機関長らも170〜200万w(17万〜20万円)、乗組員15名のうち正社員は6名だけだった。これは他の船会社の従業員の60〜70%の賃金水準だという。
 朝鮮日報のインタビューによれば、「通常、仁川―済州を運行する旅客船船長の月給は400〜500万w」「海洋大出身のエリートたちは年棒1億wを超える外国船航路を希望する」という。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2014/04/23/2014042300093.html
つまり、若者が条件の悪い国内旅客船を避けるため、定年を過ぎたような船長に頼るしかないというわけだ。その中でも、事故を起こした「チョンヘジン海運」は特に待遇が悪く、いわゆる「ブラック企業」だった疑いが高い。
 勤務形態など詳しいことは明らかになっていないが、この低賃金を見ただけで、人々は深いため息をつく。「こんな低賃金で責任のある仕事をしてくれと言っても無理だろう」。
警察は船長らを逮捕し、大手メディアは彼らのモラルのなさを非難する。しかし、彼らの賃金が公表されたあと、ネット上では驚きの声や同情の声も出てきている。
「定年退職後の趣味生活のつもりだったでしょうね。」
それでも、日本だったらもっとプライドを持って仕事をする、と、私も思う。賃金に限らずプロとはそういうものだと、日本人の多くは思っている。でも、他国の人の考え方はそれぞれだ。私はもう20年以上も韓国の人々と一緒に仕事をしているが、やはりいまだに彼らの職業意識には違和感がある。かと言って、日本の仕事の仕方が完全に正しいと思っているわけではないのだが。

格差の闇 事故を起こした船舶会社に限らず、韓国で非正規雇用の賃金の安さはすさまじい。その人たちに「責任感」を求めるのは無理だと、街の食堂レベルでも思う。重い炭火を運び、大量の洗い物を片付ける女性たちの時給は5000w(500円)。日本人観光客の中には彼女たちの態度が悪いと不満を言う人も少なくないが、一生懸命やってもやらなくても時給は同じ、出世できるわけでもない。モチベーションは上がらない。オーナーの側もまた、家賃、燃料、材料、さらに子供たちの教育費など、出費はかさむ一方なので、つい削りやすい人件費から手を付ける。
 労働市場グローバル化による賃金の下方圧力は韓国だけの問題ではない。しかし国内市場規模が狭く、圧縮型の経済発展を続けてきた韓国では問題の進行も早い。格差が顕在化すればするほど、持ち前の「大らかさ」は「無責任さ」になり、やがて「オーナーへの反感」と悪化していく。
 「オーナーへの反感」は労働組合があるような大企業なら「正規の方法」がとられるが、非正規雇用の労働者の多くは労組もなく、その犠牲となるのは顧客だ。不親切な接客は我慢すればいいが、手抜き工事は生命に危険が及ぶことがある。
 それだけじゃない。労働者がオーナー以上に、顧客に反感をいだくこともある。韓国で家の修理をした人の多くは、その職人の仕事に幻滅する。仕事がいいかげんなだけではなく、時には排水溝にタオルやセメントが詰まっているような意味不明のミスもある。それをされた友人が「それはミスではなく悪意なのだよ」と言った時、韓国の闇を見たと思った。高価な新築マンションの排水溝にタオルを詰める人がいる。急激な経済発展と相対的な剥奪感、格差が生み出す闇は想像より深いのだ。

韓国経済は成長しているのに、なぜ暮らしは楽にならないか 私が韓国で暮らし始めたのは1990年、韓国人一人当たりの国民所得は1万ドルに達していなかった。それが現在は2万ドルを超え、世界12位の経済大国となった。ソウル市内のいたるところにあったスラムは高層マンションとなり、人々の暮らしは日本よりも贅沢に見える。なのに、人々は24年前も今も「ノム・ヒムドロウ」(しんどい)と言う。
 その原因の一つが、企業所得と家計所得の「格差」だという。企業はどんどん儲かっているのに、収入はそれほど増えていかない。韓国は家計所得の増加率と経済成長率の差がOECD諸国の中で最も大きい。
http://www.huffingtonpost.jp/wonjae-lee/korea-economy-suicide_b_5150908.html?utm_hp_ref=tw
 家計所得が取り残された最大の原因は、労働所得が上がらないことにあるという。経済評論家のイ・ウォンジェ氏がハフィントンポストに寄せた記事によれば、「国民所得のうち、働く人に分配された割合を示す労働所得分配率は2000年以降、著しく低下している。(中略)特に実質賃金は1990年代半ば以降、労働生産性よりも低い状態が続いている。つまり、労働生産性が高くなって生じた分け前が、働いた人に分配されていない」という。では、その「分け前」はどこに行ったのか?

真面目な人が報われない社会
 今後、徐々に明らかにされていくと思うが、今回の事故を起こした船舶会社の実質オーナーであるアイワンアイ・ホーリディングのユ氏一族は、国内ばかりか、海外にも不動産などを莫大な資産を保有しているという。検察はすでにオーナー兄弟とその父親に出国禁止を命じており、事件はあらたな局面を迎えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140421-00000001-yonh-kr

さらに警察はすでに船長以下、運航にかかわった乗務員全員を逮捕しており、今後は事件の真相究明が話題の中心となっていくだろう。ちなみにオーナー兄弟の父親は、1980年代後半に「五大洋事件」というカルトの集団自殺事件にも関連が疑われた人物だ。今後はその方面での関心も高まるかもしれない。

それにしても、悲しすぎる。指示を守り、救命胴衣を着て船室に待機していた高校生が犠牲になった。真面目な人が報われない社会。やりきれない。