映画『君におよげ』 (韓国の体育教育のことなど)

ツイッターで日本の小学生のお母さんと、韓国の学校の話になった。そもそもは休み時間のドッチボールから始まった会話で、最終的に時間割を比べるという楽しい展開になった。

入手した時間割はソウル市内の公立小学校5年生のもの。始業は8時40分、下校は2時30分、日本に比べて学校にいる時間が少ない。高学年でこれだから低学年にいたっては、午後のとても早い時間に家に帰ってきてしまう。
「だから塾や習い事が発達している」ということは以前から言われているのだけれど、では具体的に日本とどこが違うのだろうという話になった。

まず韓国の方が一コマの時間が少ない。さらにお昼の時間も短い。科目でいえば体育が週2コマと、日本の半分だ。昨年から、そのうち一コマが舞踊に変わったそうで、「男子は大泣き」と言っていた。
韓国が少ないというより、日本が多すぎるのではないか。ほとんどの小学校でプール学習があるなんて、イギリス人もびっくりしていた。体育の授業が充実しているうえに、さらに習い事でもスポーツ、中高になれば部活、日本人はどうしてここまで体育に力を入れるのか不思議という話にもなった。

その時、いろいろ韓国のことを語りながら、そういえば少し前映画のパンプのために、韓国の体育教育について調べたことを思い出した。その時の元原稿があったので、引っ張りだしてみた。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

映画『君に泳げ』 映画で見る韓国社会
昨年の秋、「韓国人は背が高いが体力がない」というニュースが話題になった。韓国文化体育観光部(日本の文科省にあたる)の調査では、日中韓三カ国で比較した場合、男女とも身長は韓国人がダントツに高いのに、体力テストでは日中両国に及ばないという。「やはり勉強ばかりしているせいだ」と、日頃の受験偏重教育が問題になった。別の調査では中高生の運動時間が主婦や高齢者よりも少ないという結果も出ている。オリンピックなどでは大いに盛り上がる、スポーツ大好き国民なのに、どうしたのだろう?

「小学校の体育の授業数が少ない」
「公共交通が発達しており、歩いたり自転車に乗る機会が少ない」
「さらに、普通の中高生は部活をしない」

 特に部活の件では、驚かれることが多い。

「韓国には部活がないんですか?」

ここでいう「部活」とは日本の中学校と高校にある運動部のことだ。バスケット、サッカー、バトミントン等々、日本の場合はほとんどの学校で放課後に運動部の活動が行われている。韓国で同好会などはあるものの、日本のように「毎日」、「時に朝練も」、「夏休みも」、みたいな本格的な運動部は体育専門校と特定種目の拠点校などで行われる。体育教育はエリート養成型といえ、スポーツは早い段階から明確な目的をもって行われるというイメージが強い。

運動部のある体育校や拠点校は狭き門だ。プロリーグがある人気種目の野球でさえ、高校に野球部があるのは全国で約50校に過ぎない。ちなみに日本の場合、高校野球部は全国約4000校あまりで、夏の大会の場合はそこから予選を勝ち抜いた49校が甲子園の土を踏める。つまり韓国の高校野球部はすべてが甲子園に出場できるレベルで、地方予選もなくいきなり全国大会となる。

その他の種目も同じだ。韓国の高校で運動部に所属しているといえば、その時点ですでに最終選考の段階に入ったといえるのだ。

とはいえ、選手一人一人の歩みは、そこまでも、そこから先も、それぞれ異なる。映画「君に泳げ!」でも、登場人物の言動の随所にそれが現れている。

韓国のアスリートには3つのタイプがある。ますは幼少期から特別なスクールで英才教育を受ける富裕層の子弟、フィギュアスケートや水泳、あるいはフェンシングなど個人種目に多い。

次にサッカーや野球などのクラブチームで頭角をあらわして、みずからアスリートを目指す子供たち。家は普通のサラリーマンなどで、経済的な余裕はそれほどない。子供のクラブ代のために母親がパートに出るという話も聞く。

そして最後に、貧困家庭の出身者がいる。こういう選手の多くは、習い事やクラブチームにも入らず、小学校の体育の先生などがその才能を発見する。

「うちの生徒にこんなすごい生徒がいる」

「ならばぜひ、うちの中学に」

体育系中学の監督にとってもっとも重要な仕事の1つが、そんな隠れた人材を近隣の小学校から発見することだ。子供たちのスカウトにあたっては奨学金が提示される。日本と大きく違うのは、体育校は公立であり、授業料やコーチ代などのほとんどが公費で賄われるということだ。

スポーツは実力の世界だ。でも、そこもやはり社会であり、格差や家庭環境などの問題から決して自由ではない。乗り越える精神力、支える家族の愛、最後に友情を抱きしめるアスリート達。

美しい映画だ。

意表をつく風景ー釜山、五六島スカイウォーク

「意表をつく風景」が釜山には多い。開発と自然と人間。アンバランスなのだが、お互いを支えあっている。訪れる度に風景が変わる、常時現在進行形な感じはソウルも同じだが、海という圧倒的な自然があるだけに、そのコントラストが際立つ。

スカイウォークのある場所は釜山市南区龍湖洞、最寄りの駅は地下鉄二号線の慶星大・釜慶大入口だ。そこから27番か131番のバスで約15分、海が見え始めたらもうすぐ終点だ。終点「五六島スカイビュー後門」で降りると、まずはその不思議な風景に面食らう。そびえ立つ高級マンション、しかしその下では素潜りの海女が、たった今採ったばかりの海産物を露天に並べている。まだ、身体からは海のしずくが落ちている。

(この高級マンションの後ろ側にはまた別の世界が広がる。釜山生まれの50代以上の人なら龍湖洞が持つ意味を思い出すかもしれない)


 海は豊穣だ。ここは海女たちだけでなく、釣り人たちにも人気のスポットだ。岩場のいたるところに釣り糸を垂れる人々がいる。
 「何が釣れますか?」
 「コンチだよ」
 「え、サンマ?」
 バケツを覗いてみると、中にいるのはカマスだ。でも、何度聞いてもコンチとおっしゃるので家に帰って調べてみたら、なるほど、サンマもカマスも韓国の人々はコンチと呼ぶらしい。
 目の前には五六島、東に行くと二妓台市民公園につながる。海岸線沿いの約1時間の道のりは、釜山市民に大人気のウォーキングコースだ。

韓国でする一人グルメ その21 梨泰院のハラル料理

先日、米国人の友達と一緒に、米軍のベース内にあるレストランで食事した。とてもアメリカンな雰囲気のお店でいただいたのはスペアリブとチキンサンドイッチ。食べながらとても懐かしい気持ちになった。留学生として初めて韓国に来た90年初頭、ソウルの街には今のような多種多様の外国レストランはなかった。
ハンバーガーショップとピザ屋が数件、市内には本格的な「西洋料理」の店はほとんどなかったので、我々留学生はよく米軍基地周辺のレストランに行った。
「あの時は、基地周辺のレストランがとてもおしゃれに見えたのだけど、今はなんだか寂れて見えるね」
20年来の友人と話しながら、周囲を見渡した。

梨泰院という街は20年前も今もあまり変わらず、メインストリートには観光客相手の小売店、裏通りには各国料理の店が散在する。でも、そのレストランの種類が大きく変わった。以前は幅を利かせていた「内国人お断り」と書かれた米兵御用達のような店は姿を消し、代わりにアフリカや東南アジア料理のレストランが増えた。特にハミルトンホテルの東南方向に広がるエリアは観光客向けというより韓国に出稼ぎに来る「外国人労働者」向け、店がまえも価格も庶民的だ。

その町の中心にはモスクがある。1969年、当時の朴正煕大統領の指示で韓国政府が約1500坪の土地を喜捨し、サウジアラビアなどのイスラム国家が建設費用を支援した。1974年にから工事が始まり、1976年に完成。以来、韓国全土からイスラム教徒が集まるところになっている。美しいモスクは観光名所でもあり、地元の子供たちとの文化交流なども熱心に行われている。
「外の世界では国家や政治などの問題もありますが、モスクの中ではみんな一緒に平和を祈ります」
パキスタン人のボランティアガイドが話してくれたことがある。

モスクの周辺は多国籍料理のレストランがあり、私はそれを目当てによく出かける。もっとも目立つのがトルコ料理とインド料理、でももっと珍しいものも食べてみたい。ある店の前には写真入りのメニューが出ており、ナシ・アヤム(ローストチキン)が6000wとお手ごろだ。その他、見たこともないメニューもかなりある。


「ここはどこの料理ですか?」
「マレーシアとエジプトの料理です」
よくみると二つの国の国旗がかけてある。マレーシアとエジプト、なるほどイスラムつながり、つまりハラル料理の店のようだ。マレーシア料理に関しては、少々知識があるのだが、エジプト料理はさっぱりわからない。その話をしながらナシ・アヤムを注文すると、せっかくなら食べたことのないエジプト料理にしたらと言われた。それもそうだなと思い、鶏肉とトマトの料理を注文した。ナンとご飯が選べるそうなので、ナンを注文、ディップしていただいた。

そうしていると、隣の席のマレー語を話す団体客に大きなローストチキンがやってきた。今まで見たことのないような大きさで、注文した人々もざわざわしていた。こんがりとやけた特大チキン、あれで6000wは安い。今度はあちらを注文してみようと思う。

日本社会の分断を読んで韓国社会の分断を考えた

経済学は苦手だが、興味はとてもある。社会の基本なわけだし、学生時代に読んだマルクスの本などは読み物として面白かった。もっとも最近は周囲の「大人たちの会話」である景気や株の話題、私自身が深刻に関係する外国為替の変動という細部ばかりが毛穴をつつく。毛穴をつつくというのは変な言い方だけど、ちょっと気になるというか、まあそんな感じだ。
 そんな中で田中秀臣さんという経済学者の文章はよく読む。ネット上で読める文章が多いし、非常に明晰でわかりやすい。しかし、最大の理由は同じ年だから。同世代や同年代への共感はないのだけど、まるっと同じ年には特別な思いがある。同じ時代風景を見て大きくなった奴(失礼ながら)、親近感という以上に種類はわからないけど愛を感じる。
 
そんな田中先生の「社会の分断を深めない政治を」という論説を読んで、少し思ったことがあるので、ここにメモ。
http://ironna.jp/article/718
 田中先生はまず冒頭に「この十数年、日本社会はふたつの意味で分断されてきたと思う。ひとつは経済的分断、もうひとつは認識上の分断だ」と書いている。「分断」は今や世界的なキーワードで、日本社会に限らず、世界にいろいろなエリアで使われている。私自身も僭越ながら、ウェブ論座に「分裂する韓国社会」という連載を書かせていただいている。
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2014120800009.html
 
田中先生があげた2つの分断のうち、経済的分断はすなわち経済的格差のこと。日本の経済格差が深刻な背景には、「1)長期のデフレ不況と2)低所得者層への再分配政策の失敗」が挙げられている。一方、認識上の分断の代表例としては、「対抗的ナショナリズムの勃興と「逃げ切り世代」の価値観の浸透」とある。なるほど「逃げ切り世代」かあ。この言葉はエコノミスト安達誠司さんの言葉らしいけど、うまいですね。私もかねてから、あの世代のあの人達をなんて呼んだらいいのだろうと思ってきたのだけど、これはぴったり。「そうはさせないぞ世代」にとっては、監視の動機が明確になるという意味でありがたい言葉だ。
 
ということで安達さんの書いたものを検索してみたら、これがネット上で読めた。
【第69回】 今後のアベノミクスを考えるために、第一次安倍内閣での成長論争を振り返る!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41393?page=3
後半部分に「逃げ切り世代」のリスク回避姿勢が言及されている。

 田中先生が安達先生が日本経済に関して書かれていることは、それとして非常に勉強になるのですが、私自身は韓国拠点で仕事をしているため、どうしても韓国社会のことを考えてしまう。この日本の現状に対して、韓国はいったいどうなのか。

韓国においても「社会の分断」は、経済的分断と認識上の分断の2つだ。経済格差は日本以上に顕在化されており、人々の不満や怒りも膨らんでいる。格差が目立つのは財閥企業への集中が激しく彼らのふるまいもタカピーなこと。再分配を支えていた親族共同体が崩壊しつつあること。これは重要で、これまでは金持ちの親戚が援助もしてくれたのだが、最近は何もしてくれない。よって再分配がされないばかりが、身近なところで格差への不満や怒りや嫉妬といったネガティブな感情が蓄積される。

一方、後発国だけに日本のような「逃げ切り世代」はできていない。韓国では高齢者自殺率が世界一高く、約半数の高齢者が貧困、それを支えるすぐ下の中高年もしんどい。よって、世代対立といえばもっぱら 高齢者から若者への不満が中心、下から上への不満は少ない。
韓国における「認識の分断」は、日本に比べると一見政治イデオロギー的な要素が強いように見える。特に中国や北朝鮮との関係あたり。南北統一という国家目標は求心力を失っており、むしろ中国と直接つながることで北は不要、自然に統一される的な漠イメージ。
対して「逃げ切り」は親米富裕層の思想。とりあえずお金を貯めこんで、国を離れても生きていかれるようにする。これは富裕層の思想だけど、影響力はある。低所得層でも何かあると「こんな国は捨てて移民する」となる。

ここらへんは日本とずいぶん違うなと思いつつ、こんな記事もあったので、ちょっとメモがわりに。
朝鮮日報の【コラム】「希望喪失症」を患う韓国社会
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/12/27/2014122700801.html?ent_rank_news
・現代経済研究院が昨年行った調査では、国民の75%が「努力しても(社会)階層の上昇は不可能だ」と回答した。
・先のギャラップの調査では、周囲の貧困層が貧しい理由について「置かれた環境のため仕方なく」(65%)という回答が「個人の努力不足」(30%)を大きく上回った。
・韓国保健社会研究院の分析でも、低所得層だった世帯が所得を増やして中産階級以上になる比率(貧困脱出率)は、2000年には49%だったが12年には23%に急落した。
・こうした雰囲気の中、富裕層に対する視線も厳しくなっている。メディアリサーチの今年6月の調査で「(富裕層を)尊敬しない」との回答は82%に達し「尊敬する」は17%にとどまった。社会階層の上昇が困難になっているため、富裕層とそれ以外の人々の確執が深まる可能性が高まっている。
・ピュー研究所の調査では「未来の世代が今よりも豊かに暮らすのは難しい」という悲観的な見方を示した世代は、20代が54%で最も高かった。
・ギャラップの調査では「貧困は努力不足が原因ではなく置かれた環境のためだ」という意見が20代では69%と、50・60代(55%)を大きく上回った。

韓国でする1人グルメ その20「中国苑」

ない、ない、なーい、どこ探してもない。メガネじゃない、リモコンじゃない。ないのは、いつも行っていたあの店。韓国で暮らす我々やリピーターの皆さんにとって、もっともショックなことの一つは大好きな店が姿を消すことだ。それは時になんの前触れもなく、忽然と姿を消す。「あれ、ここじゃなかったのかな?」「道を間違えたかと思って、周辺を探しまわった」なんて話も、リピーターの方からよく聞く。しかし、今回は探すような店じゃない。

店は「中国苑」、中華料理レストランだ。場所は華僑の居住区で知られる西大門区延禧洞で、初めて行ったのは24年前の1990年10月。そこからほど近い延世大学というところで、韓国語を習い始めたばかりの頃だった。

連れて行ってくれたのは同じ留学生仲間の米国人デビッド、鄭大為という中国名までもつ中国フリークだった。彼は北京語、台湾語、広東語などたくさんの種類の中国語を話し、さらに韓国語と日本語を学ぼうと、両国を行き来しながら勉強していた。いわゆる語学オタクのような人で、後にタイとベトナムを行き来して、そっちの言葉も勉強していた。

「韓国の中国料理はここが一番おいしいよ」
彼の日本語はまだまだだったが、中国語は上手だった。
「彼は中国人よりもきれいな普通語を話す」とかで、いつも「中国苑」の奥さんがびっくりしていた。彼女は華僑2世で、中国語は山東省の方言、韓国語も華僑独特のアクセントがあった。

デビットは完全な「孤独のグルメ派」だった。本人もそれを自称しており、「1人で食事がしやすいこと」が彼をアジアに定着させた理由の一つでもあった。
「日本や台湾、あとタイやベトナムも1人で食べるところがいっぱいあって便利。でも、韓国は少し難しいよ」
当時、韓国人でさえ1人で外食することはとても珍しかったし、ましてやデビッドは190センチを超える巨漢の白人だった。

「私が食べていると、みんなが集まってきます。箸を使うと、おおー!と、みんなびっくりする」
そんなデビッドが安心して通える店、それが「中国苑」だった。その他にも中華料理店はあったのだが、多くが韓国風・出前中心の店で、メニューも炸醤麺・チャンポンなどに限定されていた。「中国苑」は界隈で唯一の本格的中華レストランだった。

韓国で華僑経営の本格的レストランがあまり発展しなかった背景には、韓国政府の長年にわたる「華僑政策」がある。「外国人土地法」に代表される一連の締め付けは、最盛期に10万人もいた在韓華僑を、80年代には1万8000人にまで減少させた。その後、中韓関係の強まりなどにより、中国人観光客が増加。韓国政府の縛りもなくなり、華僑が自由にビジネスができるようになった。「中国苑」も「北京」という観光レストランを併設、観光バスが止まるような大きな店になった。

観光客用は盛況だったが、地元客用はいつも常連しかいなかった。家族や友達と一緒に行くこともあったが、たまには1人で行って店の人と話しながらチャンポンなどを食べるのが、私の密かな楽しみだった。2世の奥さんはおばあちゃんになり、3世の息子さんが後を継いだ。彼は台湾に留学もしており、中国語の発音も韓国語の発音も完璧だった。デビッドが聞いたら目をくりくりさせて、驚くだろうなと思った。「息子さんはいいよ」とか言っちゃって。

その「中国苑」が消えてしまった。単なるリモデリングならいいのだけれど…。しばらくしたらまた行ってみようと思う。